インタビュー : 110年三田会 事務局長 大竹 広明さん

50年ぶりの時間を大いに楽しみました。

――110年三田会 事務局長 大竹 広明さん


110年三田会 卒業50年記念事業実行委員会の事務局長として、当日のパーティーを運営された大竹広明さん。約3年前から準備を始められた記念募金や今回の同期懇親会についてのお話に加え、塾生時代に思い出深かったこと、そしてこれからの慶應義塾に期待することなどをお聞きしました。
今なお、中学校や高等学校の同窓会幹事も引き受けていらっしゃる大竹さんの常套句、「楽しんでやる」という言葉のとおり、このインタビューも楽しみながら、ユーモアを交えて語ってくださいました。

Q.1 110年三田会 卒業50年記念パーティーはいかがでしたか?

参加した同期生が笑顔だったのが何より印象深い。

もう久しく会っていない人、50年ぶりに会う人もいて、本当に楽しかったですね。会った瞬間は誰だか分からなくても、話しているうちに昔の面影が甦ります。
3年前の5月に麻生君と話し合い、今回の卒業50年記念事業実行委員会を立ち上げ、3ヶ月に1回、委員会を開いて準備してきました。卒業25年での経験があるので、約30人のメンバーはみんな慣れていて、何事もスムーズに進みましたね。
また、卒業して10年ごとに連合三田会でも同じようなメンバーでやってきた。気心が知れている仲間ばかりなので、準備も楽しくできました。

当日の運営は、予定通りに進行できるかどうかなど、司会者と調整はしましたが、私自身50年ぶりの時間を大いに楽しみました。今回の収穫は笑顔。参加してくれた同期生が笑顔だったことが何より印象深いですね。みんながこの会の目的に好意的で予定通りに進行でき、ストレスなく会を実行できました。
やはり、友達同士のつながりは慶應義塾独特のものがあります。三色旗を見たり、校歌を歌ったりすると、すぐにみんな一つになれるんです。
懇親会ではお互いの近況を話して盛り上がり、みんな楽しんでくれていたと思います。

Q.2 慶應義塾での一番の思い出は?

マンドリンクラブの活動で明け暮れた4年間でした。


私は小学校からずっと慶應義塾に通い、東京五輪の翌年、1965年に慶應義塾大学に入学しました。
大学では高校から続けていたマンドリンクラブに所属し、その活動で4年間が明け暮れました。もちろん、授業が終わってからの活動ですが、毎週火・木・土曜日が練習、月・水・金曜日に他大学へと出向き、日曜日は各地の演奏会へ行っていました。こうして振り返ると、ほとんど毎日クラブ活動をしていたんですね。
1年生の春、100人位いた新人は、夏の合宿で練習についていけない部員が退部して最終的には、4学年全体で120人ほどになりました。春秋の定期演奏会をはじめ、3年生の秋にはアメリカへの演奏旅行も経験しました。4年生では責任者となり、各係の人たちと楽しく運営し、第100回記念の定期演奏会を成功させました。春は九州、四国方面へ、夏は東北、北海道へ。地域三田会のもとへ出向いて演奏旅行したことは強く印象に残っています。

服部正先生と一緒に食べた並の駅弁。


なかでも一番の思い出は、慶應義塾のOBでもあり、常任指揮者として指導してくださった服部正先生とのエピソードです。四国・中国地方の演奏会に行ったとき、私が服部先生付きで身のまわりの世話をする係でした。高名な芸術家の先生ですから、最初とても緊張していたんです。
あるとき、列車に乗っていて、お昼時に二人で駅弁を買おうということになり、窓から弁当屋さんを呼びました。ところが弁当には上と並があって、上は1つしか残っていない。隣同士で差が付く食事は先生も嫌だろうと私なりに気を遣い、並弁当を2つ買って二人で食べたんです。服部先生は何食わぬ顔で弁当を食べられましたが、あとで他の部員に話すと「なぜ先生に上弁当を買って差し上げないのか」と、さんざん言われましてね。
しかしその一件があってから、服部先生がとても優しくなった。
宿舎で着替えるとき「大竹さん、ホテルで一緒にユニフォームに着替えましょう」と言われたり、屋島見物に行って、かわら投げをさせてもらったりしたこともありました。それまでコチコチになっていたのが、その後はとてもリラックスすることができた。それから卒業まで、先生には一度も怒られることなく可愛がってもらいました。
4年生で責任者をしたときは、120人所帯ですから、部員の人間関係をいかに良くするかを心がけていましたね。会社経営は対価があるからある意味、やり易いんです。しかし、大学のクラブ活動は給料などの対価がない。だからこそ、一人ひとりがやりがいを感じて、楽しく参加してもらうようにしないと良い活動はできないと思います。このマンドリンクラブでの濃密な経験はその後、会社経営をするにあたって非常に勉強になりました。

Q.3 塾生へのメッセージはありますか?

勉学とスポーツ、文武両道で盛り上げてほしい。


今になって私の塾生時代を振り返ると、非常に恵まれていたと感じます。慶應義塾の教授陣は優秀な方ばかり。こんな貴重な講義は普段なかなか聴けるものではありません。塾生のみなさんには貪欲に授業に参加して研究・学修に精を出してもらいたいですね。必ず自分の血肉になりますから。
そして慶應義塾を卒業することで、社会から一定の評価はしていただけるようになります。しかし、それに甘んじることなく、福澤先生がおっしゃった「慶應義塾の目的」をしっかり身につけて、実践していってほしい。「独立自尊」の考えで世の中に貢献していただきたいと思います。
さらに言うなら研究活動ももちろんですが、体育会のみなさんにも活躍してほしい。やはり体育会が元気だと、塾生も塾員もみんなが元気になるんです。ラグビーや野球をはじめ、慶應体育会の成績が良いとみんなが一つになることができます。

Q.4 慶應義塾で得たものは何ですか?

慶應義塾でたくさんの仲間、友達ができた。


たくさん得たものはあります。まず、初対面の人でも慶應義塾出身だといえば、それだけで話が合います。私は小学校から中学、高校、大学と慶應義塾に通っていました。実行委員長の麻生泰君や、(同期懇親会で)乾杯の挨拶をした渡辺弘二君も小学校の6年間同じクラスだったんです。もう気心知れた間柄。小学校1年から知っているから、今更何も飾る必要がないくらい分かり合っています。他にもたくさんの仲間や友達ができ、現在も交流しています。

Q.5 これからの慶應義塾に求めることは?

もっとグローバルな交流ができる環境を。


今回、卒業50年のDVDを制作するに当たり、各キャンパスを訪れました。そのとき感じたのは、我々の頃よりは海外からの留学生が多いものの、今後ますます進んでいくと思われる国際社会の姿を考えると、まだ少ない印象です。
もっと留学生が増えると、キャンパス内で国際交流ができるようになると思います。日本にいながらグローバルな感覚を養うことができるようになれば、塾生の視野も広がるでしょう。もっと積極的に留学生の受け入れを増やしてもいいのではないでしょうか。

Q.6 ご自身の現在の活動を教えてください。

2020年パラリンピックにつながるブラインドサッカー国際大会を支援。


現在は、三信倉庫株式会社の会長職に就いています。会社の運営は現社長に任せ、私は主に社外活動を担い、約200社の倉庫の会社で作っている企業年金基金の理事長としても活動しています。
あとは、天王洲でブラインドサッカーの国際大会を開催しています。昨年第1回大会が行われ、今年第2回の大会が行われました。世界中から代表が東京に集結して試合をするのですが、これは2020年のパラリンピックを目標に各国チームが競い合っている、そのプレ大会という位置づけ。これに出場する日本チームのサポートを行う実行委員長を私がやっています。サポートのきっかけは、大会が開催される天王洲の地元として、何か支援ができないかと協力することになったこと。地元で何か盛り上げたいという機運が高まり、サポート実行委員会を作ったんです。

支援すること、運営することがやりがい。

もう卒業50年記念の同窓会も終わってしまったし、これから先は何をしていきましょうか?(笑)
今、友達が旅行をしたいからツアコンの役目をしてほしいと頼まれているんですよ。何でも頼まれると断らないから、よく幹事をやらされるんですね(笑)。
慶應義塾の小学校、中学校のクラス会でも毎年1回、集まっています。そこでも私が幹事を引き受けて会を運営しているんです。まだまだ元気でいないといけませんね(笑)。

Q.7 大竹さんにとっての慶應義塾とは何ですか?

それは慶應讃歌の歌詞通り、第二の故郷です。


第二の故郷です。慶應義塾がなくなったら、私はもぬけの殻になってしまうでしょうね(笑)。いつでも帰れる場所、ほっとするところが慶應義塾です。
今回の同窓会にもみんなが集まってくれるということは、みんなそう思っているのでは。卒業50年記念パーティーで1000人弱、入学式に1500人、集まってくれた。ほんとうにありがたいですね。
この春、一番上の孫が慶應義塾の高校に入学しました。そして二番目の孫は慶應義塾の中学校に入学。私にとって慶應義塾は、孫の代までずっと続いている学び舎ですね。

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