特集記事

カラフルに、自分らしく、
個性の色を出して羽ばたいて
――一般社団法人日本経済団体連合会 政治担当統括主幹/CATCHY 代表
大山 みこ 君

2022年9月に卒業25年記念の大同窓会を開催する1997年三田会。その実行委員を務める大山 みこ君はマーケティング部会と経済学部の責任者として、多忙な中にも同窓生との連絡をとっている。そんな大山君にOCA TOKYOのカラフルなラウンジで、大同窓会への思い、幼稚舎から大学院まで18年間慶應義塾で学んだ思い出、そして慶應義塾のこれからに期待することを語ってもらいました。

 

会って話すことが楽しいと思えること

―― 1997年三田会では卒業25年記念大同窓会の実行委員でいらっしゃいますね。

はい。今年9月の大同窓会に向けて2年前から実行委員会がスタートし、私は名簿委員会と経済学部の担当として活動しています。卒業して25年が経ち、なかなか連絡がとれない友人たちも増えるなかで、この2年コロナ禍でリアルの集まりが思うようにできず苦労しましたが、各委員会や出身学部、出身付属校をはじめ様々なカテゴリーごとにSNSを積極的に活用して、同窓生とつながる機会を作ってきました。
同窓会という楽しいイベントのための会合でも、どうしても事務的になりがちなので、「みんなに会って話すことが楽しい」と思ってもらえるよう、オンラインの会合でも夜の時間に自宅でリラックスしながら参加できる工夫をしたりしながら、徐々に参加者を増やしていきました。その後、少しずつリアルで集まれるようになったのが2021年の秋頃。感染対策を徹底しながら、各委員会や学部間でも連携しながらイベントも開催し、参加してくれるメンバーを広げていきました。

―― 久々に会う同窓生とは、すぐに打ち解けましたか?

学生時代から仲の良かった友人たちとは、海外にいったりしていてしばらく会っていなくても、毎日会っているかのような会話になりますよね。それももちろん嬉しかったのですが、このイベントの集まりをきっかけに学生時代には会ったことのなかった同窓生とご縁がつながったことも嬉しかったことのひとつです。これまで知らなかった初対面の人でも、会って話すうちに旧知の仲みたいに打ち解けられ、これぞ「慶應マジック」だと。
また、9月の大同窓会を前に、ご招待いただいた3月の卒業式にリアルで出席させていただけたことは大きかったです。袴姿で卒業式に参加する女子学生の笑顔がまぶしく、25年前の自分たちの卒業式の想い出を重ねながら、日吉キャンパスの銀杏並木の坂道を歩き、新しく生まれ変わった日吉記念館での式典に出席することができ、同期の皆も感慨深かったと思います。また、とりわけ伊藤公平塾長の「慶應義塾の卒業生は全社会の先導者たれ」というメッセージは、社会人としての自分の胸に改めて深く刺さりました。
リーダーになる人間は天をも味方につけたような運を持ち、時代を先読みして色々な人を巻き込んで進んでいく勇気と信念、そしてコミュニケーション力を持って自分の信じる道を突き進まなければならない。自分自身、常にそういう気持ちを忘れずにしたいと再認識しました。社会に出てからさまざまなタイプのリーダーとして活躍するための教育が慶應義塾にはあると思っています。

 

正解はひとつじゃない

―― 1997年三田会では募金活動もしていただいていますね。

私は幼稚舎から一貫教育校を経て大学院まで18年間慶應義塾で学ばせていただきました。私だけではなく多くの同窓生が同じ気持ちだと思いますが、これまで育てていただいた母校への貢献の形のひとつとして募金活動をしています。もちろん、海外への留学や駐在経験を生かして塾生の相談に乗ったり、所属先の三田会の活動にも携わったり、貢献の仕方は様々あると思いますが、後輩たちが社会に巣立つ土壌を作るための資金的なサポートとしての募金もまた欠かせないことだと思っています。
日本国内はもちろん、海外でも、留学先のニューヨークやボストン、駐在先のワシントンDCなど行く先々で三田会があり、塾員の方々と様々な交流をさせていただき、また三田会以外でも、例えば経済界にも塾員の大先輩の経営者の方が数多くいらっしゃり、様々な場面で手を差し伸べてくださいました。塾員の皆さんと接するたびに、こうやって後輩をサポートしてくださるんだと感激し、私が経験してきたことを義塾に還元していきたいと思うようになったのです。

―― 慶應義塾在学中の印象深い思い出を聞かせてください。

思い出は語りつくせないほどあります(笑)。独立自尊の精神からくる自由な校風のなかで、伸び伸びと育ててもらえたことが、私の競争力の源泉になっているといえます。ひとことで言うなら「正解はひとつじゃない」という教育ですね。「いろんな考え方があっていい」と個性を認め、個人の強みをリスペクトして伸ばしていただきました。
中等部在学中の個性を尊重していただいたエピソードをひとつ紹介します。中学時代のお昼ごはんはお弁当を持参するか、購買部でパンを買うかが一般的なのですが、多感な中学生はやってはいけないことをしたくなるものです(笑)。ある日、私を含めた仲の良い女子4人で閉まっている校門をよじ登って学校の外に出て、近くのラーメン屋さんに行ってこっそり食べました。ラーメンを食べ終わってお支払いをしようとすると、お店の人が「お代は済んでいますよ」と。指さす先を見たら、なんと担任の先生の粋な計らいだったのです。叱られるなと覚悟していたら、中学生にもわかる形で諭してくださり、子ども心に、こんな素敵な先生を悲しませるようなことはしてはいけないと強く思ったことを覚えています。正解の形を頭ごなしに押し付けるのではなく、慶應義塾では遊び心と自由度のある教育をしていただいたのが印象深いです。

 

何でも楽しむ力の源泉

―― 大山さんにとって慶應義塾とはどういう存在ですか?

今の私を作ってくれたそのものです。人にはいろいろな個性があり、その人に合った育て方があると思っています。私には慶應義塾の自由で伸び伸びとした中にも心地よい競争がある校風が合っていたようです。そこから自分で考え、自分で切り拓くマインドが芽生えました。幼稚舎の頃からゲーム性を持たせて競わせることで、「何でも楽しむ力」が養われ、社会に出てからも競争を楽しめる素養を作ってもらったと感じています。それが社会人になってからの私の強みにつながったのです。
私は経団連で仕事をする傍ら、国際イメージコンサルタントの資格を取得し、イメージ・コンサルティング・オフィス『CATCHY』を起業しました。これはアメリカ発のメソッドで、一人ひとりの個性を可視化するもの。人の印象は3秒で決まるとも言われているなかで、企業のエグゼクティブをはじめ、一人ひとりが組織を代表する「顔」として、あらゆる場面でその人間的魅力=人に与えるイメージが、手に入れたい成果や業績に直結する時代を迎えているなかで、外見やコミュニケーション、マナー、立ち居振る舞いなどの視点から心理学やデータ分析を通じて、理想の印象を可視化する戦略立案を行います。人が個性を出すことは、カラフルに生きること。自由に、カラフルに、何でも楽しみながら挑戦する力の源泉は慶應義塾で養われたと思っています。

 

エレガントに生きる

―― 海外留学や海外駐在をされたきっかけを教えてください。

学生時代から海外志向はありましたが、長期留学したのは大学を卒業した後です。ニューヨークのコロンビア大学大学院に留学した理由の1つに、キャンパス訪問の際、校風が慶應義塾に似ていると直感的に感じたことがあげられます。在学生や卒業生にお話を伺ったり、キャンパスツアーに参加するなかで、ダイバーシティを感じる校風や自由な雰囲気に加え、ニューヨークという世界中で最も競争の激しい都会の中心にある点も慶應に通じるものを感じました。
米国コロンビア大学大学院への留学時代

ボストンのハーバード大学でも客員研究員として米国政治について学び、その後日本に帰国してから、もう一度アメリカで働きたい!という強い思いが叶い、経団連のアメリカ代表としてワシントンDCに駐在しました。ここではCSIS(戦略国際問題研究所)というアメリカを代表するシンクタンクの1つでの勤務経験も得て、日本では経験できないモノの見方や考え方を学びました。

―― アメリカに行ったことでその後に変化はありましたか?

はい、大きくインスパイアーされました。身近な例のひとつとして、シンクタンクで勤務していたときの経験です。最初は慣れない仕事をこなすため、当時日本で働いていた時と同じように毎晩夜遅くまで残って仕事をしていました。そんなとき上司が「何か困ったことでもあるのか?」と声をかけてくれたので「いいえ、仕事が終わらないだけです」と答えたところ、「アメリカでは時間ではなく、アウトプットで評価されるんだ」「工夫をして早く退社することで自分をエレガントな人間に見せることも大切なことだよ」とアドバイスしてもらいました。まだ当時の日本は、深夜まで残業するのが当たり前で、そうやって頑張っている姿が評価される時代でした。いつも忙しく慌ただしくしている日本の働き方に対し、プロセスではなく結果が重視され、余裕をもち堂々とした振る舞いができることも評価されるアメリカ人エリートの働き方に好感を持ち、日本に帰ってからのマネジメントでも心掛けるようになりました。
また、アメリカのエグゼクティブの行動力にも魅力を感じました。私がお会いした超一流の方たちは、たとえこちらが留学生の立場であってもご自分でレスポンスをし、私が聞きたかったことにリアクションしてくださるのです。どんなに忙しい方であっても、半日以内にはレスポンスが返ってくる。ちゃんとご自分の手を動かして対応してくださることに感銘を受けました。人を肩書で見るのではなく、「個人」として向き合う。そういう姿勢、カルチャーっていいなと感じ、私も自分が歳を重ねていく中でも人任せにせず、きちんと自分の手を動かしていこうとお手本にするようにしています。私がアメリカで体験した数々のことはグローバルで活躍するための基本だと思います。この学びを後輩のみなさんにも伝えて行けたらいいですね。

 

海外留学のすすめ

―― 慶應義塾に期待することは何ですか?

私自身、海外に出た経験はすごく大きな意義がありました。そういう体験を一人でも多くの塾生のみなさんにもしていただきたい。出来ることなら、全員一度は海外を体験してほしいですね。前のめりになって、あれもしたい、これもしたいという姿勢でどんどん自分で可能性を切り拓いていくような人には、こちらも応援したくなります。慶應義塾ではそういう人材を輩出できるよう、塾生のみなさんが海外留学をするための奨学金が拡充されたり、グローバルに羽ばたくための国際プログラムが充実されると嬉しいです。私たち塾員も含めてその後押しをしていけたらと思います。
それから、ジェンダーバランスも気になるところです。私は経済学部の出身ですが、在学中の女性比率は10%台でした。現在は倍増したようですが、半数を目指しても良いと思います。日本の企業でも、ダイバーシティ&インクルージョンの推進は喫緊の課題ですが、自由な校風である慶應義塾が思い切った施策を行ってほしいですね。これは経済学部だけでなく、理系分野ではもっと深刻な状況といえます。女性をはじめ多様なバックグランドを持つ人々が増えればいろいろな視点が生まれ、勉学に取り組むなかでも新しい意見が出たり、さまざまな部分に化学反応が起こったりすることに期待しています。

 

カラフルに、自分らしく

―― 最後に塾員のみなさまにメッセージをお願いします。

これまでの日本では、社会に出たとたん、同質性の高いモノクロ社会に染まらざるを得ない風土がありました。たとえば就職活動のスタイルが代表例。皆、同じリクルートスーツを身に纏い、髪型、メイクまで同じ。一人ひとりの個性が消されてしまう最初の一歩に思います。
自分の考えに自信をもち、目標をしっかりと見据えながら、自分の個性と考えを貫いてほしい。慶應義塾の卒業生は社会の同調圧力に負けることなく、たくましく個性を強みにして、自分らしく活躍してほしいです。個性って、その人の色。いかに、みなさんが自分の色を出して生きていけるか。それが、人生をカラフルに彩ることにつながっていくと思います。カラフルに、自分らしく生きるって、とてもエレガントな生き方ではないでしょうか。

※掲載内容は2022年7月19日現在のものです。

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