欧州6カ国を訪問して西洋文明を目の当たりに。
洋学による人材育成の必要性を強く感じた福澤先生。
福澤諭吉先生は生涯で計3回海外に渡航しています。一度目は1860年の遣米使節団への同行。二度目は1862年に幕府の遣欧使節団の通訳として、欧州を7カ月かけて歴訪。三度目は1867年、幕府の軍艦受取委員の随員として米国3都市を訪問しています。このうち欧州歴訪は、福澤先生の思想に大きな影響を与えることとなり、塾の方向性を決めるきっかけとなりました。
築地鉄砲洲にあった中津藩中屋敷内二階建の長屋で、福澤先生は家塾を開くさなか、1862年に幕府の遣欧使節団の通訳として、フランス、イギリス、オランダ、プロシャ、ロシア、ポルトガルの6カ国を歴訪しました。このときの見聞は文明の進歩への意識を高め、パリで購入した黒皮の手帳のメモをもとに、渡航時から執筆していた日録形式の「西航記」をまとめ、『西洋事情』『世界国尽』などの書物を出版しました。
福澤先生は帰国後、洋学の必要性を説き、イギリスで知ったパブリックスクールなどを参考に、同志である「社中」の協力体制で塾を運営する方法を目指します。そして1864年、郷里中津に優秀な塾生を求めて、小幡篤次郎・甚三郎兄弟、浜野定四郎ら6名を入門させました。将来は中心的な教員となって協力してくれる人材を得たのです。
遣欧使節団への参加をきっかけに塾の組織化が図られ、師弟関係を超えた新たな学塾の礎が築かれました。
ここに「社中」形成の第一歩が刻まれたといえます。
八田 清助「異人酒宴之図」(慶應義塾福澤研究センター提供)