塾員バトン・インタビュー:武田 隆一 君/青森三田会 会長

将来への投資をしてほしいですよね。日本、そして世界で活躍できる人材を輩出してほしい。そのためにぜひ寄付を活用してもらいたいと思います。
――青森三田会 会長 武田 隆一 君


青森県で複数の事業を展開しながら、学生を支援する財団法人も運営する武田 隆一 君。
青森三田会活性化のポイント、福澤基金への思い、そして流通業界で長く活躍してきた武田君だからこその塾生へのメッセージを聞かせていただきました。

Q. どのような学生時代を過ごされましたか?

A. テニスサークルでの活動が思い出深いです。


バロニィというテニスサークルに参加していました。楽しかった記憶が多いですね。人との交流も多くあり、思い出深いです。
ただ、今思うと、学問をもっとやっておくべきでしたね。大学の時に学問を通じて教養を高めて、もっともっと幅の広い人間になれるように過ごしていかれればよかったのかなと。一番の反省ですね。
社会に出てこそ、もっと広く色々な方との付き合いが広がっていくとの期待を持っていたのですが、…慶應義塾大学というのはこの点でもやはり特別なところで、将来社会で活躍する人たちが集まっていたなと。そういう人達と、もっと交友を深めておけばよかったという思いがあります。そして学問を通じて、幅の広い人間を、自分の中に育てておかなければならなかったと思っています。

Q. ご卒業後の進路について聞かせてください。

A. ずっと百貨店業界で働いてきました。


卒業後は新宿の伊勢丹に勤めました。大卒を大量に採り出した最初の年でしたね。
売り場、共同仕入れ機構、店長、本社勤務など立場は様々でしたが、ずっと百貨店業界で働いてきました。そもそも慶應義塾大学に入学したのも、父の友人から「流通に強いのは慶應だ」とアドバイスを受けたからなんです。新宿伊勢丹に入社した時も同期がたくさんいましたし、三越さんも慶應義塾出身の方が多いんじゃないでしょうか。
東京、青森、大阪、徳島、仙台と色々な職場を経験し、平成10年に家業を継ぐ形で青森ヤクルト販売株式会社(http://www.e8960.com/)代表取締役社長に就任しました。
現在は、東北地方に4店舗を構えるさくら野百貨店(https://sakurano-dept.jp/)の経営もビジネスとして手掛けています。この百貨店は、元々は傘下の武田株式会社を通じて土地を貸し、経営は株式会社ニチイ・株式会社マイカルから派生したダックビブレの下にありました。1990年代はデザイナーズブランドなども扱って業績が伸びていたのですが、2000年代、平成13年に入ってから破綻し、私たちは民事再生法適用後のスポンサーとして経営にも関わるようになりました。
今や地方の百貨店は、どこも生き残りの戦いの真っただ中にいます。

Q. 地元青森での事業展開のルーツについて聞かせてください。

A. 安政2年創業の「カネ長呉服店」というルーツがあります。


青森ヤクルト販売の創業は昭和31年です。「ヤクルト」という商品はヤクルトの創業者である代田 稔博士が、戦前の昭和10年に商品を作ったのが始まりです。牛乳がベースですので戦時中は牛乳の供給が途絶えて中断、昭和25年に再開した事業なんですね。昭和31年はヤクルトが全国に販売会社を立ち上げていた時期だったのです。
さらにさかのぼれば、「カネ長呉服店」というルーツがあります。創業は安政2(1855)年です。長く使われてきた屋号の「カネ長武田」は、「カネ木屋」というお店と、「村林長兵衛」という協力者の名前、そして「武田」の名前を合わせてできたものです。このカネ長武田が事業を広げ、今に至ります。
「ヤクルトスイミングスクール」もやっています。地元の方の健康に資するものとして、やりがいを持って取り組んでいます。
とはいえ、僕にオーナー的な意識が芽生えたのは、実は青森ヤクルト販売株式会社の社長になった平成10(1998)年の頃です。それまではサラリーマンでしたから。

Q. 卒業後に慶應義塾との関係を強く感じるのはどのような時でしょうか?

A. 卒業してからも何らかの形で連帯感をもって集まることができる。


やっぱり卒業生のOBの組織がすごいですね。こういう形で塾とも卒業後のご縁ができて。
実は私の子どもも妻も慶應義塾の出身なんですけれども、子どもの卒業時、三田会開催の折など、様々な機会に慶應義塾に来ては、変わらないところ、変わっていくところを見続けていかれる。お世話になったところと関われるというのは、嬉しいですよね。
クラス会、クラブのOB会もさかんです。クラブは5年ごとにOB会があり、先日はバロニィ55周年を記念した会合もありました。卒業してからも何らかの形で連帯感をもって集まることができるのは良いことです。

また、やっぱり慶應出身だと言うと、周りの方が一目置いてくれます。そういったことに、とても助けられました。
だからそういう意味では今の学生さんにお願いしたいのは、慶應の看板に傷をつけるようなことはしてもらいたくないんですよ。私も度々、先輩には「問題を起こすなよ」と釘を刺されたものですが……
昔、入学時のオリエンテーションで、担当の先生が仰った言葉がとても印象に残っています。みんな大学に入って何をするんだ、と。学問をするんだけれども、一番大事なのは、社会に出て役立つような広い視野を身につけることだと。やはり私生活も含めて大学生活なのだと思います。
今のオリエンテーションが、学生の私生活をどこまで指導しているかは分かりませんけれども、まぁ一言二言ぐらい、指導があってほしいですね。

Q. 青森三田会の活動について聞かせてください。

A. 活動が活発になってきています。


毎年の大きな活動としては冬の総会と夏のビアパーティー、 その他に月に一回、有志だけなんですけども 、「三田会サロン」と称して、気軽に集まっています。
最近は転勤族の方の参加が多いですね。30代以下の方も多くいらっしゃって、この前は去年の卒業生もいましたよ。
会費を払ってくださる方は70名ほどなのですが、1月の集まりには40名の方が参加してくれました。活動が活発になってきていると感じています。

稲門会と仲が良いのも特長です。ゴルフや麻雀で慶早戦(年2回)を開催しています。弘前三田会、や八戸三田会などの青森県内のほかの三田会との交流も深まっています。

転勤などで来られた方は、「青森の人は良い意味でも悪い意味でものんびりしている」と感じられる方が多いのではないでしょうか。急ぎすぎないのが青森の良さだと思います。ぜひ体験してみてほしいと思います。

Q. 三田会が活発になる秘訣は何でしょうか?

A. 積極的な声掛けです。


会長になったのは10年くらい前なんですが、3年前に東北連合三田会の幹事を担当しました。これは18年に1回の機会ですから、まず組織作りから始めたんですよ。
具体的には、積極的な声掛けです。「連合三田会を開催するので、集まりましょう」と。結構いるんですよ、特に転勤族で、「誰に連絡すればいいんだろう?」と思っている方が。転勤で地方に来た方から地元の人間に声をかけるのはなかなかハードルが高いですよね。地方の多くの三田会が直面している問題かもしれません。
「こちら(三田会)が集まってほしくても、なかなか集まりたい方とのマッチングができない」という課題の解消に取り組みました。

Q. この度は青森三田会様より福澤基金へご寄付をいただきまして、誠にありがとうございました。今後の基金活用の方向性について、ご意見をいただけないでしょうか。

A. 日本を引っ張っていくような、ひとつの核になる人材の育成に繋がってほしい。


将来への投資をしてほしいですよね。日本、そして世界において活躍できる人材を輩出してほしい。そのためにぜひ活用してもらいたいと思います。
基金の意義や背景、どういう意味合いで塾員をはじめとする多くの関係者の方から資金が集められているのか。それらをしっかり皆さんに伝えてほしいですね。
日本という国は今、次に飛躍しなければならない時だと思います。先進的とは言えなくなってきている。そんな中、「皆さん頑張りましょう」と日本を引っ張っていくような、ひとつの核になる人材の育成に、福澤基金の取り組みが繋がってほしいという思いがあります。

Q. 武田報恩会(http://www.t-houonkai.com/)という財団法人をお持ちでいらっしゃいます。福澤基金への思いと同じ考えで学生を支援されているのでしょうか?

A. もうひとつは郷土愛です。


そうです。そして、もう一つはやっぱり郷土愛ですよね。支援をした学生にはぜひ地元に貢献するようになってほしい。
でも、なかなかそうはいきません。みんな東京に出ていってしまいますから。ただ僕は、広い世界に飛び出すことには大賛成なんです。
青森に住んだことのある人は、青森の良さは分かってくれています。仕事だけでなく、休みの日にいろんなところを観光したり、温泉に入りに行ったり、地元の人との交流なども通じて、お世辞もいくらかはあるんでしょうけど「青森っていいところですね」と言ってくださる方がいらっしゃる。実際、退職してから青森に移り住んでくれている方もいます。他の場所で青森の良さを語ってくださる方もいる。それでいいと思います。

Q. これからの慶應義塾に求めるものは何でしょうか。

A. 苦情の方が3倍広がる。苦情をなくしていくような努力をしていただきたい。


高校の先生が知らないんですよね、慶應義塾とはどんな学校かっていう。だから地方の高校から慶應義塾大学に来る学生数が伸び悩むのではないでしょうか。
高校生だけではなくて、高校の先生にも慶應義塾のオリエンテーションを行い、アピールする必要があると思います。
私は昭和40(1965)年に慶應義塾大学に進学しましたが、同期で入学したのは4人かな。最近も、大体それぐらいの人数だと聞いています。私の前の三田会会長で、青森高校の元校長先生の話では、一学年で二桁の数の生徒が慶應義塾大学に進学した頃もあったようです。高校の先生に、慶應義塾のことをもっと知ってもらう必要があると思いますよ。

それから、慶應義塾にはどうしても「お金がかかる」というイメージがある気がします。そこも変えていってほしいですね。

慶應義塾には何より、日本を担っていく人材を輩出してほしいと思います。そのために必要なことは色々あると思いますが、小売業に長く従事する立場から思うことは、「苦情をなくしましょう」ということです。
苦情をいただくこともあれば、お褒めいただくこともあります。しかし、「苦情の方が3倍広がる」と言われています。長年にわたり諸先輩方が築いてきた慶應義塾の伝統や良さを維持・発展できるよう、「苦情」をなくしていく努力を今後も慶應義塾にはしていただきたいですね。
あとは、ライバル校には負けないでほしい。

※掲載内容は2020年3月30日現在のものです。

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