インタビュー:伊藤 亜聖 君/東京大学 社会科学研究所 准教授

小泉信三記念奨学金が今につながっている。
慶應の大学院生時代を思い出して寄付をしました。
東京大学 社会科学研究所 准教授
伊藤 亜聖 君

慶應義塾大学経済学部から大学院に進学した際に小泉基金の奨学生として学んだ伊藤亜聖君。修士課程、博士課程を修了し、現在は東京大学社会科学研究所の准教授として、また慶應義塾大学PEARLの教員として次代を担う研究者の育成に取り組んでいます。この度、自身が支援を受けた小泉基金に寄付していただいた気持ちや、塾生時代の思い出を語ってもらいました。

Q.1 現在の研究活動について教えてください。

塾生時代から始めた中国経済の研究を深めています。

東京大学社会科学研究所に所属し、准教授として中国経済を研究しています。当研究所では法学、政治学、経済学、社会学を専門とする研究者が在籍し、それぞれの専門的研究に加えて、分野を横断する共同研究 にも力を入れています。このような環境にいるので専門分野を半歩はみ出した新たな研究にもトライしているところです。
慶應義塾大学経済学部で学んでいた当時、中国は2桁の経済成長率を持続しており、日々、新聞報道でも目にするようになっていました。このことがきっかけで中国経済を専門とする駒形哲哉先生のゼミに入り、大学院に進学して研究活動を続けました。中国の製造業をテーマにした研究から始めて、最近では中国企業の対外投資やIT系企業のイノベーションにまで研究対象が広がっています。
近年の中国は世界第2位の経済大国となり、以前とは異なる課題に直面し始めています。今や北京、上海、深圳などの大都市は先進国並みの生活水準であり、またデジタルサービスの普及は目覚ましいです。また中国企業を追いかけてその先に出てくる新たな問題を追っていくと、アフリカや中央アジア、東南アジアなど、他の新興国につながっています。中国企業や中国経済の研究を続けることがより広い世界の研究につながり、研究テーマが広がっているところです。

Q.2 慶應義塾でも教員をされています。

経済学部の新しいコース「PEARL」で授業を行っています。

大変有難いことにお声がけいただいて、経済学部に新設されたPEARL(Programme in Economics for Alliances, Research and Leadership)(https://www.econ.keio.ac.jp/undergraduate/pearl)で科目を担当しています。9月入学のコースで、すべての授業を英語で行うのが特長です。留学生が多く、塾生はみなさん優秀で、真剣に学んでいます。中国や韓国、フランスなどからの留学生がいたり、私が受け持つゼミにはカリフォルニアに半年間留学している日本人の塾生がいたりと国際色豊かで、教えていても非常に刺激的で、新鮮ですね。ゼミは現状6人の少人数で中身の濃い学びになっています。私の英語ではまだまだ不十分なのですが、大学院の頃に北京に留学した際に、ミシガン大学の博士課程生であったルームメイトと英語で会話していたことが活きています。

Q.3 塾生時代の思い出を教えてください。

北京、広州に留学し、中国の高度経済成長を肌で感じました。

大学院修士課程1年の9月から、交換留学奨学金をいただきながら北京の大学に1年間留学したことは印象深い体験でした。その後、博士課程に進んでからも広州に1年弱留学しました。北京はちょうど2008年の北京オリンピックが開催される2年前で、国を挙げての建設ラッシュの真っ最中でした。上海から北京へ高速鉄道が開通し、地下鉄が整備される一方で、連日スモッグが発生するなど、日本でいう高度成長期の猛烈な勢いを当時の中国に感じました。私は日本の高度成長期を経験していないのですが、博士課程の指導教授だった渡邊 幸男先生曰く「京浜工業地帯の川崎の風景とまったく同じ」だったようです。それを聞いて、中国の空気が汚いというわけではなく、高度成長期とはこのようなものなんだと教わったことが印象に残っています。
今思えば、慶應の大学院は熱心に大学院生を育ててくれたと感じています。文系の大学院は少人数だったこともあり、私のゼミは先生2人に対して塾生が2~3人など、非常に贅沢な学びの環境でした。だから研究報告も毎週、あるいは週に2回、3回と行うこともあり、高い密度で鍛えられました。土日に学会での報告が入る時期には、平日の研究発表と合わせて休日関係なくフルタイムで研究活動に没頭しました。本格的な投稿論文を苦労しながら書くという経験を塾生時代に積めたのは貴重なことでした。また大学院時代の友人たちにもいつも励まされました。

Q.4 小泉信三記念奨学金を受給されていました。

金銭的、精神的に研究活動の大きな支えになりました。

大学院修士課程に進む際に駒形先生から助言があり、小泉信三奨学金の奨学研究生に応募し、採用していただきました。修士課程に入ると土日も関係なくフルタイムで研究活動を行うことも必要になるので、アルバイトをする時間は必然的になくなっていきます。そのような状況のときに小泉奨学金の給付金をいただけたのは本当に助かりました。金銭面においては書籍を購入したり、学会活動の交通費に充てたり、ときには山食でカレーライスを食べるためにも使わせていただきました。おいしかったです。さらに言えば、精神的な面でも大きな支えになったと思っています。修士や博士課程での研究活動に対して背中を押してもらえたような気持ちになるわけです。大学院生は研究面でも、そして収入面でも「独立」できていないわけです。そのなかで、小さな「自尊」の気持ちを持てるような応援があるか無いか。それはとても大事なことです。

Q.5 小泉基金に寄付していただいた思いは?

慶應の大学院生が増えてほしい、という気持ちです。

今、日本では大学院生が減っているという現実があります。それは慶應だけの問題ではなく、日本全体でそうです。先進国のなかで日本だけ博士号の取得者数が減っています。特に人文・社会科学分野、いわゆる文系ではいくつかの専門分野レベルそのもので、知識の継承ができなくなると危惧されています。
これから研究者を目指す人たちを支援していかなければ、5年後、10年後後に後継者がいなくなってしまう。私も見聞きしている中国、ロシア、東欧、東南アジアといった地域に特化したいわゆる地域研究では、次世代へのバトンタッチができないということが発生しつつあります。崖っぷちで、一人から一人へとバトンを渡すような状況で来たいくつかの分野は、まさに消滅しつつあります。
大学院、まずは修士課程に進学する学生を増やす必要があります。奨学金は研究者を目指す人たちを支援するひとつの手立てだと思います。もちろん、その後のライフコースとしてポジションが用意されているかという問題が根本にはあります。まずは修士課程で学ぶ人たちを増やしたい、大げさに言えば慶應義塾に恩返しをしたいという気持ちで、微々たる金額ですが小泉基金に寄付をさせていただきました。
たまたま三田評論に文章を寄稿させていただいたので、その原稿料をお世話になった小泉基金に少しでも還元したいという気持ちからでした。同級生で、義塾に寄付をされている友人もいます。 小泉先生の著書『平生の心がけ』を読んで心に残っていたこともありますし、私の場合は小泉基金を寄付先として選択しました。ただこれはそれぞれの寄付者の気持ち次第で変わることだと思います。

Q.6 これからの慶應義塾に求めることは?

塾員、塾生がつながり、前向きにチャレンジできるか。

明らかに違う時代に突入していることを感じます。江戸時代、慶應から明治へ、そして昭和を終えるまで日本は右肩上がりの時代でした。しかし平成を移行期として、令和になった今、色々な面で「縮小」を議論せざるを得ない論点が多くあります。一方で海外に目を向けると、中国や東南アジア、インド、アフリカなどは経済的にも成長してきました。2020年1月以降のコロナ危機が、もしかしたらこうした趨勢すらも変えるかもしれませんが…。
日本国内の諸問題への取り組みと、広がり続けるグローバルな問題、そして新興国とのつながり、これらのバランスをどうとるか、いかに前向きにチャレンジしていくかが問われていると感じています。慶應義塾には、自ら先頭に立って道を切り拓いてきた気風があります。敢えて単純化すれば、ポジティブに、前向きにいろんなものを作っていく。そんな校風がより一層試されていくのではないでしょうか。
諸先輩方をはじめ同級生や後輩のみなさんは、それぞれのフィールドで特色のある活動をされています。私などは出来が悪かった方ですし、先輩後輩を含めて、塾員の皆様の活躍に、私も励まされていることが多くあります。これからも上下のつながりの強さ、楽観的に物事を前に進めていく力、これらの慶應ならではの校風は他の学校にはコピーが難しいはずです。そこに一番の存在価値があると思っています。

※掲載内容は2020年5月29日現在のものです。

特集一覧に戻る