インタビュー:奈藏 稔久 君/三田体育会会長・世界空手連盟(WKF)事務総長

人間形成と礼節を重んじる日本発祥のユニバーサルスポーツ「空手」。
東京五輪で形と組手を通じて伝統と革新を発信する。
――三田体育会会長・世界空手連盟(WKF)事務総長 奈藏 稔久 君

世界空手連盟(WKF)の事務総長として、東京2020オリンピックでは五輪史上初めて「空手」が実施競技に追加されるまでに尽力した一方、三田体育会会長としてOB・OG組織をまとめ慶應義塾の体育会をさまざまな角度からサポートする奈藏 稔久君。世界中の人たちに愛される「空手」の魅力やスポーツの国際機関で経験した出来事、国際社会で活躍できる人材育成のヒントなどを語っていただきました。

◆慶應義塾体育会 体育の向上を図るとともに、人格の陶冶に資することを目的として明治25(1892)年に誕生した、自主的運営の学生団体。 教育におけるスポーツの重要性を認識していた福澤諭吉は積極的にスポーツを導入し、その振興に努めてきた。
◆三田体育会 体育会各部OB・OG会のとりまとめ的な役割を果たしている。

Q. 世界中に愛好者がいる空手の魅力はどこにありますか?

A. 日本の伝統的な武道であり、競い合うだけが全てではないところ


世界の約200カ国で受け入れられ、1億人以上の愛好者がいる空手は日本発祥の武道でありながら、今やユニバーサルスポーツになっています。オリンピック種目に限ればサッカー、バスケットボールに次いで3番目に愛好者人口が多く、男女比が50:50のスポーツです。
では、空手の魅力はどこにあるのか。まず一つ目は、日本の伝統的な武道である点。競い合うだけが全てではないところです。ルールに基づいたスポーツではあるものの、礼と節を重んじ、人間形成を目的とするフィロソフィーに世界中の人が興味を持ちました。
そしてもう一つは、「技を極めはするが試合では相手を傷つけない」というルールの妙。突いたり蹴ったりする格闘技は他にもありますが、空手は相手をノックアウトした側が負けてしまう。競技者はスピーディでパワフルな打撃を繰り出しながら、顔の前5センチのところで技を止める、「相手を重んじて血を見ない」という点に多くの人たちが魅かれたのです。
欧米の、とりわけ知識層での空手人気は凄まじく、彼らの情熱が今日の空手の魅力を形作ったのではと思われます。

Q. 東京五輪の舞台で世界に伝えたいものは何ですか?

A. 伝統と革新の完璧なる調和、そして生涯楽しめるスポーツ


空手には「形」と「組手」という2つの競技があります。「形」は一人で架空の敵に理想的な技を使うもの、「組手」は互いに向かい合う相手と呼吸や間合い、タイミング、そして勇気を競い合うものです。「形」と「組手」は言わば車の両輪。2つがあってこそ空手なのです。
しかし、オリンピックで実施競技に空手が追加されるにあたっては、最初は国際オリンピック委員会(IOC)から、「『形』は素晴らしいけれど競技に馴染まない」と言われました。しかし私は徹底抗戦の構えを崩さず、「伝統と革新の完璧なる調和」というスローガンを作って全世界に発信したのです。「それを表現するのが『形』と『組手』の2つの競技である」と。どちらかだけでは空手ではない、両方が調和してこそ伝統武道であり、ユニバーサルスポーツだと主張し、最終的には「形」と「組手」の両方を実施することが認められました。
加えて、私たち世界空手連盟(WKF)が掲げているのが、「空手は生涯スポーツ」だということ。実際に空手は5歳から90歳まで、それぞれの目的に応じて楽しめます。幼児体操として取り組んで自然と礼の心を育み、小・中学校で教育の一環として練習を重ね、それが長じてトップエリートスポーツマンとして、世界選手権やオリンピックで競技を行う人材が輩出される。その先にあるのは卒業、引退ではなく、年齢に応じた活動の中での技術を追求、精神の向上。一生涯を通して打ち込める武道が空手であることを伝えていきたいですね。

Q. 空手が五輪の正式競技になるまでに印象深い出来事はありましたか?

A. 2014年7月、スイス・ローザンヌのIOC本部で物事が動いた


過去に空手は、3回のオリンピック大会で最終選考に残っていたのですが、すべて落選していました。ところが、私がWKFの理事に就任していた2014年4月に全日本空手道連盟の笹川 堯会長から突然「奈藏君、IOCのバッハ会長に会って頼みたいことがある」と打診されました。そこで、アポイントを取ってくれと頼まれたのですが、普通バッハ会長に会うには早くても半年はかかると言われているのです。それが3カ月後の2014年7月には会談の約束をとりつけ、IOC本部があるスイス・ローザンヌに乗り込みます。
面会時間は15分のみ。そこで笹川会長は開口一番「バッハ会長、私は東京オリンピックで空手が見たい」と藪から棒に叫んだのです。私は驚きましたが、なにせ時間がないのでそのまま通訳すると、バッハ会長は「笹川さん、それは私が決めることではなく、あなたが決めることです」と言うのです。しかし本来、オリンピック種目はIOCが決めることなので、こちらは訳が分かりません。禅問答のようになってしまい、あとは何を話したのか全く覚えていません。面会が終わったときには15分の約束が45分経っていました。
その後に分かったことですが、IOCは2014年に開催都市が実施競技の追加提案ができるようにしていたのです。すなわち、東京2020オリンピックでは日本の組織委員会が追加提案したい競技を選ぶことができるようになったというわけです。

空手を実技競技として追加するため、あらゆる手を尽くした9カ月


振り返ってみれば、スイス・ローザンヌでのバッハ会長との会談が東京2020オリンピックで空手が実施競技となるストーリーの始まりでした。その後、2015年1月に大忙しで東京にWKFの事務所を作り、IOCに空手をアピールしようと、9カ月間死に物狂いでキャンペーンを展開しました。
大変ではありましたが、私にしてみればこれまでのビジネスでやってきたことと同じ。目標は明確で、コンセプトを考えてプロジェクトのストーリーを描き、最終的には森 喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(TOCOG)会長に「うん」と言ってもらうのがゴールです。そのために、あらゆる手を尽くしました。正味5カ月で一般の方から70万筆の署名を集め、一方では国会議員の議員連盟を作り、菅 義偉官房長官に会長になっていただきました。東京都議会議員連盟も1週間で立ち上がり、満場一致で推薦してくれることに。その他にもインフルエンサーを増やすため、経団連や教育界などのトップの方を集めてプレゼンテーションを行ったり、中南米をはじめとする16カ国の駐日大使に空手を推薦してくれるようお願いしたりしました。
その甲斐あって、東京に事務所を作ってから9カ月後、TOCOGの森会長からIOCに空手を含む5つの競技の追加提案がなされます。これが、空手がオリンピック競技になるまでの大まかないきさつです。ただ後で考えてみたら、物心両面の支援者の90%が実は塾員だったのです。数多くの会社にサポートしていただき、意識したわけではありませんが要所要所では塾員の協力があった。いろいろな巡り合わせで良い方向に進みました。

Q. 慶應義塾の空手部はどのように誕生したのですか?

A. 全国の大学で最初に発足、「空手道」という名は塾生が作った


私は慶應義塾に幼稚舎から通い、普通部入学と同時に空手部に入部しました。慶應義塾體育會空手部は1924年に全国の大学で最初に発足した伝統ある部です。空手部創部に尽力されたのは当時法学部で教鞭をとっていた粕谷 真洋先生。近代空手を作った沖縄県出身の船越 義珍さんが1922年に東京の体育博覧会で演武を行った際に感銘を受け、三田にお呼びするなど親交を深めた後、慶應義塾大学のゼミ生を集めて空手部を作ったのが起こりです。
最初は空手のことを中国に由来する「唐手」と呼んでいました。沖縄では手を意味する「でぃ」という名でしたが、塾生の発案で現在の「空手」と呼ぶようになります。空手は単なる格闘技ではなく、人間形成の武道であるべき、とことん極めると「空」になるものだと。下川さんという塾生と北鎌倉・円覚寺の和尚さん、船越さんが協議して、般若心経の色即是空・空即是色に端を発する「空手道」に改名したそうです。
現在、世界200カ国、1億人以上が愛好する「空手」は、元をたどれば慶應義塾関係者による命名だったのですね。後にユニバーサルスポーツとなる武道に人間形成というフィロソフィーを見出したのも粕谷先生と当時の塾生たち。新しいものを取り入れることに貪欲だった慶應義塾の気風がうかがえます。

Q. 三田体育会はどのような役割を担っていますか?

A. 慶應義塾体育会を総合的にサポートすることが第一の目的


三田体育会は前会長の西岡 浩史君(慶應義塾評議員)が会長就任以降、それまでの会員相互の親睦を目的とした活動から体育会を支援することを第一の目的とする組織に大きく変わりました。簡単に言えば体育会の各部に横串を刺し、それぞれのOB・OG団体だけではカバーしきれないサポートを行っています。各部の共通した課題を抽出して義塾や個別の体育会と解決方法を探り、各部にフィードバックしていく。以前はとれていなかった横の連携をスムーズにして、体育会全体のさまざまな問題解決を試みているところです。
私たちは慶應義塾の体育会43の団体から集めたいろいろな切り口のデータを集約し、網羅出来るようにしています。このことにより、例えば会費納入率が低い部から悩みが寄せられた場合、うまくいっている部のノウハウを紹介して解決のお手伝いをすることもできるようになりました。これは私だけがやっていることではなく、副会長の人たちが何回も集まって打ち合わせをして、ケースバイケースで解決法を探ってくれているからできることなのですね。
ただし三田体育会というのはあくまで塾外の一団体ですから、我々があまり熱くなりすぎて、慶應義塾との間にある組織としての境界線を越えてしまわないよう気を付けています。

Q. 小泉基金に期待することはありますか?

A. 体育会に所属する塾生にとって海外をもっと身近に


このたび、慶應義塾が小泉基金によって体育会の支援を強化していくことを表明しました。私は三田体育会の一会員、そして会長として、義塾がこのような方向性を打ち出したことを大変重要なことだと受け止め、三田体育会としてポジティブに捉えるべきではないかと会員のみなさんにお話ししています。例えるなら体育会の各部は「草花」です。OB・OGが水をあげないと枯れてしまう。一方で、体育会の組織全体は「森」です。森の育成もまた重要であり、それを実現するのが小泉基金。そういう懐の深い考え方で三田体育会としても同基金を通じて体育会を支援したいですね。
私が慶應義塾高校1年の空手部員だった1962年、体育会が創立70周年を迎え、旧日吉記念館で小泉 信三先生が「スポーツが与える三つの宝」というスピーチをされました。実際に小泉先生のスピーチを伺って以来、片時も内容を忘れることはありませんでした。後年文藝春秋から出たテープを海外にまで持参し、小泉先生のスピーチを聴いて生活をしていたくらいです。
慶應義塾体育会はスポーツで名を成そうとしている大学とは一線を画したやり方で特長を出していきたいと思っています。「体育会部員である前に塾生である」と。体育会への支援の一つは海外を視野に入れることでしょう。近年国際化が一層進んでいますが、体育会に所属する塾生は他の塾生に比べて海外に出るチャンスが少ないという話があります。「国際化」という縦糸と「体育会」という横糸の交点で支援をしていければと考えています。

※小泉信三は「スポーツが与える三つの宝」を「練習によって不可能を可能にするという体験」「フェアプレーの精神」「友」としている

Q. 世界で活躍できる人材を輩出するために必要なことは?

A. マネージメントサイドの意識改革が日本の国際化を推し進める


日本のスポーツ界では国際化はずっと課題でした。選手層の厚さに比べて、国際的視野を持つマネージメントサイドの人材が不足しているのです。現在、世界のスポーツは120あると言われています。1つのスポーツに運営を支える1つの組織があるとすると、世界120のスポーツ組織の中に会長や事務総長といった幹部の役割を担う日本人が一体何人いるでしょうか。相撲と剣道以外では、たった2人しかいない。国際体操連盟の渡辺会長と世界空手連盟の私だけ。圧倒的にマネージメントサイドで日本人が少ないのです。
同じようにIOCの中に日本人の委員が2人しかいないというのは、驚くべきこと。日本の世界スポーツ組織における位置づけが低いということです。この10年間、国際スポーツ人材養成アカデミーを一生懸命にやっても世界で活躍できる人材がなかなか出てきません。「世界で仕事をする」ということは、「そのスポーツを全世界でいかにフェアに普及させるか」という大きなお題目があります。日本のためというより、世界を見渡す視野の広さが必要になってくる。これから先、マネージメントサイドの意識改革が日本のスポーツ界の国際化を推し進めると言っても過言ではありません。

Q. 塾生・塾員のみなさまにメッセージをお願いします。

A. 誰も恐れず、誰も見下さず、誰とでも対等に向き合うことが大事


慶應義塾で長年学び、塾員となって50年以上が過ぎました。「あなたは慶應義塾で何を学びましたか」と問われたとき、私はこのように答えます。「誰も恐れない。誰も見下さない。」誰と会って交渉するときでも、あらゆる場面で国・人種・宗教・性別一切にかかわらず、人と人、あるがまま対等に向き合う。そういうことがとても大事であると学んだと思っています。
空手の試合をやるとき、同じようなことがあります。相手とあるがままに向かい合う。できると、本当に強くなるものです。なかなかその境地には到達できませんが、いかに大事なことであるかを最近になって分かってきました。
ある企業経営者が「名刺の肩書でお辞儀の深さを変えるな」とおっしゃっていました。とても分かりやすい表現ですね。企業経営だけではなく、要するに人と人が向かい合ったとき、あるがままに向かい合い、あるがままに聞く。そこから何かが生まれていくのだと慶應義塾で学びました。それを実践することで私の人生はとても豊かなものになりました。
人間と人間というのは、裸になったときには対等なんだ。そういうことを福澤 諭吉先生が150年前におっしゃっている。言葉は多少違っていても慶應義塾はそれを建学のときから言ってきました。それを自然に教わっていると思います。


※掲載内容は2020年9月10日現在のものです。

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