塾員バトン・インタビュー:鶴 正登 君/1970年三田会 卒業50年記念事業実行委員長

やっぱり直接会うのが一番。
2021年5月の卒業50年記念パーティーは、みんなで弾けて楽しみましょう。
――1970年三田会 卒業50年記念事業実行委員長 鶴 正登 君


1970年三田会の卒業50年記念事業実行委員長として3年前から準備を進めてきた鶴 正登君。卒業50年記念パーティーはコロナ禍で2021年5月14日に延期になったが「やっぱりみんなと直接会って楽しみたい」と本音がのぞく。準備を進めてきた記念事業を振り返ってもらうとともに、慶應義塾での思い出や、これから期待することなどを伺いました。

Q. 卒業50年で目指したことは何ですか?

A. より多くの塾生に奨学金を受け取ってもらえるよう募金を。


3年前の2017年11月に卒業50年記念事業の実行委員会の主要メンバーが集まってプロジェクトがスタートしました。慶應義塾の1年先輩であり、その年代の実行委員会で事務局長を務めていらっしゃった大竹 広明さんのアドバイスを受け、準備を進めてきました。1970年三田会では卒業25年のときに奨学金基金をつくっています。今回せっかくの卒業50年なので同窓生のみなさんに寄付を募り、集まった寄付金の全額をその基金に積み増しました。より多くの塾生の方に奨学金を受け取ってもらいたいという趣旨で募った寄付金は、賛同してくれたみなさんのおかげで目的を達成できたと思います。
本来であれば2020年の春に帝国ホテルで卒業50年記念パーティー行う予定でしたが、今年は想像もしない事態になってしまいました。新型コロナウイルスの影響で記念パーティーは2021年5月14日に延期。約1,000名から出席の返事をもらい、みなさんが楽しみにしていたと思いますが、私はあと1年先まで楽しみが残っていると受け止めています。心残りは、慶應義塾大学の入学式に出席して新入学生の門出をお祝いすることが叶わなかったことです。
記念パーティーの準備は昨年のうちにほとんど終わっていたので、ウイルスの流行期にメンバーが集まる必要はなかったですね。現在はメールを活用したり、1970年三田会のwebサイトを利用したりして連絡を取り合っています。このような活動は目的達成も大事ですが、その過程でメンバーが集まることが楽しいのです。用件はオンラインでも済みますが、本題を終えた後に雑談をしたり、飲食をともにしたりする時間は会わないとできませんからね。

Q. 慶應義塾での思い出を聞かせてください。

A. 英語力が活きたユースホステルクラブの奉仕活動。


慶應義塾へは普通部から入学し、中学、高校、大学と10年間学びました。印象に残っているのは、大学在籍2年次からユースホステルクラブに所属したことです。その後の3年間で全国のユースホステルに約80泊しましたが、これはクラブ内では少ないほう。多い人は4年間で200泊以上する強者もいました。ヘルパー活動といって、受付や掃除などの奉仕活動をしながら無料で宿泊する活動があり、私自身がヘルパーをやるだけでなく、クラブ内から希望者を募集して色々なユースホステルへ派遣することもやっていました。
ヘルパー活動でミーティングの司会進行役を務めたのも楽しい思い出のひとつです。夕飯の後で宿泊者を集めてゲームをやるのですが、ある日、横浜のインターナショナルスクールで働く外国人の先生たちが参加しました。彼らは英語しか話せないので、英語でミーティングをやったのです。父の方針で小さい頃から英会話を学んでいたおかげで、思わぬ事態になっても慌てずに済みました。
ミーティングではよく「魚・鳥・木(ぎょちょうもく)」というゲームを行います。これは司会者が「魚」といったら魚の名前を、「鳥」といったら鳥の名前を宿泊者に答えてもらうゲームです。それを外国人相手に「フィッシュ」とか「バード」と当てていくのは簡単なのですが、出てきた英語の名詞を知らないと正解か不正解かを判断することができないため、英語力が必要になります。
この様子を施設管理者であるペアレントが見ていて、「近々インターナショナルスクールの生徒が数十人宿泊して地元の高校生と交流会をやる予定なので、英語で司会をやってくれるヘルパーはいないか」と相談されました。結局私が司会を引き受け英語でゲームをやり、日米の生徒たちにもペアレントにも喜んでもらい、日米交流に貢献できたことは、いい経験と思い出になりました。

すぐ“むれる”、人のつながり。


大学3、4年次は気賀 健三先生(慶應義塾大学名誉教授、元経済学部教授)のゼミに所属しました。尊敬する気賀先生の考えに触れることそのものが嬉しかったですね。1学年40人くらいの大きなゼミでしたが、それを4つのグループに分け、私は経済の比較体制を研究し、大学対抗のインターゼミで発表するグループで研究活動を行いました。当時のグループの仲間とは今でも年に1回は泊りがけでゴルフに行き、旧交を温める関係が続いています。
気賀ゼミの仲間をはじめ、ユースホステルクラブの仲間、連合三田会で知り合った人たちなど、様々な塾員のグループと現在も交流しているところです。私がよく言う掛けことばがあります。「慶應の卒業生とかけて…夏の靴下と説く」その心は「すぐ“むれる(群れる)”」。排他的な意味ではなく、やはり慶應卒と聞くと、より親しみを感じるものです。とりわけ年次が近いと共通の経験をしているので、なおさら話が合うものですね。慶應を卒業して良かったことは、色々な人とのつながりができたこと。慶應で学んで本当に良かったと思っています。

Q. 現在の事業について聞かせてください。

A. 父が創業した会社を成長させるのが私の使命。


大学を卒業した後は住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、3年間勤務して父が経営していたNOK株式会社に入社しました。当社は日本初のオイルシールメーカーで、高度なシール技術から生み出すオイルシールは国内シェア70%、世界でも50%のシェアがあり、自動車業界をはじめ様々な領域に進出しています。私は2年前まで社長兼会長を務めましたが、以降は会長に専任。実質的に父が創業した会社を成長させることが私の使命と肝に銘じて社業に邁進し、その責務は果たせたのではないかと思っています。
現在では電子部品の製造も行ない、世界中の携帯電話メーカーとも取引をしています。世界20カ国以上に販売拠点を築いてきましたが、現在の世界的なコロナ禍の影響を受けてしまい、今は辛抱のしどころです。巷では「新しい生活様式」に移行するなどと言われていますが、人と会ったり、集まったり、話したり、食事をしたりという人間本来の習性は今後も変わらないと思っています。これまでも色々な感染症が流行した時期もありましたが、ワクチンや良い治療法ができれば、また元の生活に戻っていくはずです。テレビ会議で用件は済む時代ですが、それだけではビジネスも生活も楽しくない。実際に人と人が会って、本題以外の雑談をし、会議が終わったら一緒に食事やゴルフを楽しむ。それがビジネスや生活の目的でもあると思っています。直接相手と会って楽しく会話ができる世の中に、早くなってほしいですね。

Q. 今後の慶應義塾に期待することはありますか?

A. 戯れ去り戯れ来たり、自ら真あり。


コロナ禍が終わった世の中は、ますます世界との交流が盛んになるでしょう。その中にあって、とくに自分の考えを持っている人の存在は貴重なものになると思います。これまで通り、慶應義塾は独立自尊の人を育ててほしいですね。自分で情報収集をして、自分で考えることが大切です。もちろん他人の意見を聞くときは聞き、最後は自分で判断して行動する。そういう人物を日本はもっと育てないといけないと、福澤 諭吉先生も述べています。これからも独立自尊で行動できる人を輩出していってほしいです。
私が慶應義塾で感銘を受けた言葉にこのような言葉があります。これは創設者である福澤先生が好み、その弟子の高橋 誠一郎先生が好み、その弟子の気賀 健三先生が好み、そのまた弟子の私が好んでいる言葉です。『戯れ去り戯れ来たり、自ら真あり』。これは気賀健三先生がまとめた小冊子『自由を求めて』の中の一節で、私が大好きな文章です。意味は「仕事でも何でも一所懸命にやる。やるけれど、それは戯れである。戯れであるけれども馬鹿にしないで一所懸命にやることが大切である。そして、その一所懸命にやっている自分を、もう一人の自分がちゃんと見ている」というところでしょうか。「自分で自分を見ているから、迂闊なことをやったら何をバカなことをやっているんだ」と思い、逆に「頑張っていることは、よくやっているじゃないか、自分よ偉いぞ」と善行を認めるのです。人間は誰でもパーフェクトではないから、善い行いもするし悪い行いもする。
私はサッカーの試合を観戦したときに耳にした「オー・マエダ」という掛け声が「お前だ」に聞こえました。その日以来、何かバカなことをやると「それが、お前だ」と耳に響くのです。その度に自分の襟を正すようにしています。

Q. 塾員として、仲間のみなさんにメッセージをお願いします。

A. 世のため人のためになることをやっていきたい。


なるべく「自分のことは自分でやる」という福澤先生の教えを守ったうえで、できれば世のため人のためになることをやっていきたいですね。福澤先生の境地まで行くのは無理かもしれませんが、どんな小さなことでもいいので世の中と人の役に立つことをしましょう。そして2021年5月14日の記念パーティーでは、1970年三田会のみんなで弾けて楽しくやりましょう。

私にとっての慶應義塾は「楽しい砥石」。

慶應義塾をひとことで表すとしたら、「楽しい砥石」ですね。私は中学から慶應義塾に入りました。楽しいことも数多くありました。しかし中学、高校の間はまだ子どもです。「砥石」に磨かれて光る刃物のように、慶應義塾が自分を磨いてくれたからこそ、今の自分が作られたと思っています。中学、高校は「砥石」の時代です。慶應義塾は楽しいばかりではなく、自分を磨いてくれた場所なのです。

※掲載内容は2020年12月7日現在のものです。

特集一覧に戻る