特集記事

過去に誰もやっていない研究テーマに
挑戦できたのは福澤基金の支援のおかげです。
――慶應義塾大学 経済学部 崔 在東 君

「毎年、夏休みに2~3カ月、冬休みに1~2カ月、ロシアに滞在して研究に必要なロシア革命後の農村の資料を収集しています」と語る崔 在東君。ゴルバチョフ元ソ連大統領が提唱したペレストロイカの思想に触発され、ロシア経済史をフィールドに定めて東京とロシアを往復しながら研究を深める想いを、蝉しぐれが降りそそぐ三田キャンパスの研究室で聞きました。

Q. ロシアの農民史を研究することの意義は何ですか?

A. 人類の歩みや社会現象を分析し、歴史を理解していく


現代社会は経済学の方法論だけでは予測できないことがたくさんあります。しかし、歴史を見ればその事象が発生した背景が理解できる。私の研究分野である経済史学というのは、人類の歩みやさまざまな社会現象を経済の視点から分析することで、歴史を理解していく学問です。
私はソウル大学経済学部を卒業後、ソウル大学に所属する恩師の勧めでロシア革命前後の研究を東京大学大学院経済学研究科で始めました。そこでロシアの人々について研究していくと、ロシアは独特の国であることに気付きます。ロシア革命以前のロシアでは、なんと人口の9割強が農民。さらに、日本人には当たり前のことである私的所有権がありませんでした。彼らは共同体が所有する土地を耕して作物をつくり、生活を営んでいたのです。
ロシアの人々にとって土地は生きていくうえで欠かせないものであり、農民社会であるロシアの土地問題はロシア全土の経済を左右する問題でした。だからこそロシアの農民史を研究することは、ロシアの歴史と社会を解明していくために非常に重要なことなのです。

Q. 現在、研究している内容を教えてください。

A. ロシア革命後のソ連時代における火災保険政策を研究


私はロシアの農村社会で農民一人ひとりから強制的に吸い上げられていた“保険料”に着目し、1860年代からロシア革命が起こった1917年までの資料を収集し、これまでにない切り口でロシアの農民史を研究してきました。そこで衝撃の事実を発見したのです。ロシアでは火災保険の加入件数に比例して、農村で発生する民家の火事件数が、年代が進むにつれて急激に上がっていました。では、ロシア革命後のソ連政権下ではどうなのだろうという疑問が湧き、調べてみると幸いにもロシアには1920~1950年代の農民の保険料を含む火災保険関連史料が多く残っていました。その手つかずの資料を発見して、この研究は私がやるしかないと思い、福澤基金の支援のもとで1917年~1957年までのソ連時代の国営火災保険政策の研究に挑戦することにしたのです。
毎年、夏休みを利用して2~3カ月、冬休みに1~2カ月、年間にして4-5カ月ほどロシアに滞在します。まだ誰も見たことのない膨大な資料を収集し、その資料を日本に持ち帰って読み解き、研究ストーリーを作るのです。非常に費用のかかる研究ですが、豊富な資料ほど研究者にとって有難いものはありません。福澤基金による支援のおかげでより厚みのある研究を進めていくことが可能になりました。

Q. 研究する際に大切にしていることは何ですか?

A. 誰も手をつけていない生の資料を発掘すること


歴史研究者として、先人たちとは違うオリジナリティのある研究をすることにこだわっています。ロシア革命の後で何が起こったのかという研究は、世界的にも数が集中しているフィールドです。私の恩師にしても1920~1930年代のロシア農民の研究を40年以上も続けています。同じような資料を用い、人と同じ視点でいては新しい研究はできません。まだ誰も手をつけていない生の資料を発掘して研究するのが私のスタイル。誰も研究していない資料を調べると、そこから新たな事実を見出すことができます。独自の研究テーマを見つけることは、研究者にとって一番幸せなことです。
ロシア革命後の火災保険を切り口にした研究は、2019年に約65ページの論文にまとめ、発表しました。続いて1917年~1957年までの家畜保険についての論文は102ページの内容に。現在は作物保険をテーマにした研究論文を進めているところです。この論文を仕上げたのちは、1950年代までの火災保険、家畜保険、作物保険の研究の集大成として、ソ連の国営保険政策全体をまとめた本を出版したいと思っています。

Q. 福澤基金は研究にどのように役立っていますか?

A. 未開拓の研究を推し進めるエンジンになった


私の研究は、ロシアを訪れて生の資料を収集してくることがすべてです。ロシアへの渡航費や年間で4-5カ月となる滞在費を始め、図書館や歴史博物館に残っている膨大な資料をコピーする費用などに、福澤基金の支援がたいへん役立っています。同じような歴史研究をしている他の研究者からは、長期間の研究滞在を羨ましがられることが常です。
研究を論文にまとめ、英語に翻訳してもらい、アメリカやイギリスの学会誌に投稿しようと計画しています。その際にも多くの資金と長いプロセスが必要になります。私の研究が日本での発表を皮切りに世界中に披露されるまでを、費用の面から後押ししてくれる存在が福澤基金なのです。私はつくづく研究者として恵まれていると思い、感謝しています。

Q. 福澤基金の魅力をどう感じていますか?

A. 使途の制約がないので安心して研究活動ができる


慶應義塾の自己資金を原資とし、研究を目的にした活動であれば使途の制約がないところが大きな魅力です。私のような歴史研究ばかりでなく、多くの研究者の活動がそうだと思いますが、研究を始めて1年やそこらですぐに成果が出るものはほとんどありません。少なくとも5年、6年という継続した研究が必要になるのではないでしょうか。
だからこそ、支援によって安心して新たな研究に挑戦できるのです。たとえば、資料が数多くあればあるほど、それをコピーするのに費用がかかる。また時間もかかる。何百ページもある資料のファイルの中から収集する部分を悩むのではなく、費用を気にせず全部を収集することができるようになりました。それは私にとって、すごく安心感があります。
資料というのは見るたびに顔が変わるものです。最初に読んだときは役に立たないと思っても、読み返してみると今まで気づかなかった新しい発見があることがあります。その場所にある資料をあるだけコピーして持ち帰れるということは、手元の資料で勝負すればいいんだという勇気を与えてくれます。数年後の成果を目指して、じっくりと研究に取り組むことができるようになりました。

Q. 慶應義塾の研究環境をどう思いますか?

A. とても恵まれた環境にあり、研究支援制度に感謝している


福澤基金を始めとする塾内の研究支援制度には心から感謝しています。資金の面でも環境の面でも、私は非常に恵まれていると感じています。これだけさまざまな研究支援制度が整っているのは、研究活動を大切にする慶應義塾の姿勢の表れではないでしょうか。これは義塾ならではの強みだと思っています。
慶應義塾の施設を活用して国際交流も行っています。私が所属するロシア研究グループには海外にも研究者がいるのですが、彼らを日本に招いてシンポジウムを開いたり、セミナーを開催することもあります。国内だけに留まらず、研究の扉を世界に開く。ここにも慶應義塾のグローバルな視野と姿勢を感じずにはいられません。

Q. 塾生に期待することはありますか?

A. 国際的に認められる研究をし、海外でさまざまな体験をしてほしい


これからの社会で国際化は非常に大事なことです。私は常々塾生に対して、「日本の中で研究しているだけではいけない」と言っています。私の場合は大学院生のとき1年間海外留学をし、その後1年を空けて、もう1度留学しました。ロシア農民史という地域研究では、現地で言語を学ぶことから研究が始まりました。
国際研究をするなら日本で研究するだけでなく、実際に海外へ出ることが大切です。できるだけ海外へ行き、国際的に認められる研究をしてほしいと思っています。そのために一歩を踏み出し、挑戦できる機会をつくっていくことが必要となります。塾生には海外でさまざまな体験をしてほしいですね。学問を学ぶだけではなく、自国とは違うさまざまな世界を体験するのは貴重なこと。時間がたっぷりある学生時代にできるだけ挑戦し、どんどん失敗して大きな視野を獲得することを勧めます。

Q. 塾員のみなさまにメッセージをお願いします。

A. 大学への支援は塾員のみなさまの愛校心そのもの


私は慶應義塾の卒業生ではありませんが、教授歴10年の折に特選塾員の称号をいただきました。非常に感謝しています。慶應には三田会という組織があり、日本中あるいは世界各国に卒業生のネットワークがあるのは素晴らしいことだと思います。地方へ行っても同じ慶應義塾大学卒ならすぐに打ち解けられると聞いて驚きました。こんなに愛校心のある大学は他にないのではないでしょうか。
大学や研究への支援に関しても、「ありがとうございます」と申し上げたい気持ちでいっぱいです。塾員のみなさまの母校を愛する精神や伝統が今後もずっと受け継がれていくことを願っています。

※掲載内容は2021年9月15日現在のものです。

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