塾員バトン・インタビュー:遠藤 龍之介 君/株式会社フジテレビジョン代表取締役社長兼COO

「社会脳」と「発想脳」を育ててくれた慶應義塾に感謝しています。
――株式会社フジテレビジョン代表取締役社長兼COO 遠藤 龍之介 君


幼稚舎から慶應義塾に入り、青春期を日吉と三田で過ごした遠藤君。
在学中に学んだことを紐解いてみると、幼稚舎以来育まれた「社会脳」と「発想脳」が、現在のお仕事にも大きく役立っていました。
どのような経験を重ねて、どのような学びを得てきたのか。遠藤君へのインタビューをご覧ください。

Q.1 幼稚舎でのご経験について教えてください。

愛情深い先生に見守られながら、社会のルールを教えてもらいました。


幼稚舎では6年間、クラス替えもなく、ずっと同じクラスメイトたちと生活を共にする中で、生涯を通しての友達がたくさんできました。

また、幼稚舎の先生には今でも深く感謝しています。親以外で自分を無条件に愛してくれる人、それが幼稚舎の先生でした。いつも安心感がありました。基本的には児童の自由にさせてくれるんですが、子どもだから、やってはいけないことをやってしまう。そういう局面では、本気で叱ってくれるんです。最後の、本当に許せないところだけ怒る。だからこそ、とてもこたえて真剣に受け止めることができました。
私の両親も、嘘をつくなとか友達を裏切るなとか、大事なことは教えてくれていました。ただ、私の場合一人っ子だったんで、それは概念でしかなかったんですよ。学校に入るとそれが実践になる。毎日40人50人の同世代の子と暮らしていたら、「あ、こういうことが『裏切る』ということなんだ」と学ぶことができる。
先生方には親とは違う意味で社会のルールを教えてもらった。そういうことにとても感謝しています。

Q.2 普通部・高校・大学を通した、在学中のご経験について教えてください。

様々な経験が、「社会脳」と「発想脳」を育ててくれました。


普通部、そして高校へ上がると、受験を経験した新しい仲間が入ってくる。文化が混ざるんですね。これがまたすごくいい。ある種の厳しさ、ある種の社会性みたいなものがちょっとずつ混ざってきて。
幼稚舎っていうのはみんなどこか違うようで どこか似ているんです。生徒のタイプというか、感じというか。根を詰めて勉強するというようなことは、あまりない世界だったりします。
そんな中に、受験勉強をしっかりした方が入ってきてね。「なんでこんなことまで知ってるんだろう?」と思うスーパーマン、スーパージュニアハイスクールボーイみたいな人がどんどん入ってくる。とてもいい刺激をもらいました。

大学では文学部の2年生から三田に通いました。三田はいろいろな意味であこがれの場所でしたね。中学・高校とずっと男子校でしたから、女子学生と触れ合うというのがとても新鮮でした。「あー、キャンパスライフってこういうことなんだな」と思いましたね。
18歳・19歳の年頃の男の子と女の子の違いは大きかったと思います。女の子はもう大人になりかけていますけど、男の子はまだニキビが残っている。女の子を眩しく感じて、最初の頃はスッと入れず、近付けなかったりもしましたね。
大学時代は色々と遊びました。旅行のサークルに入って、スキーバスを仕立てて苗場に行くとか。今で言う合コンのはしりみたいなものです。……大丈夫ですかね? 慶應の取材記事でこんなこと話しちゃって。
楽しい青春時代を送らせてもらえたので、今でも三田キャンパスの前を通ると懐かしい気持ちになります。

慶應義塾のシステムはとてもいいと思います。安心感のある幼年時代、少しピリッとした中学・高校時代、大学では自分の意思で自分のやりたいことを自分の専攻として選べる。6・3・3・4というのは過不足なく配分された学校制度だと感じます。私は決して優等生というわけではなかったんですけれども、本当にいろんなことを学ばせていただきました。
人間の脳は3種類あると思っています。勉強をする「勉強脳」。社会に適応する「社会脳」。そして、新しい発想を生み出す「発想脳」。今、慶應義塾の教育を振り返ってみると、もちろん勉強もするんですが、社会脳と発想脳は特に慶應義塾に育ててもらったと思っています。勉強だけでは得られない、この2つの脳を育てる力は、他と比べても慶應義塾に大きなアドバンテージがあると思いますね。

Q.3 ご卒業されてからは、どのような時に慶應義塾との関わりを感じられましたか。

会社に入って仕事をし始めてから、慶應の良さを体感することは増えてきました。


在学中から、先輩と後輩の結びつきが強い校風だなと思っていました。慶早戦で慶應が勝って、三角帽をかぶっていたら、顔も知らない先輩が「おい、ご馳走してやるよ!」って言ってくれたりね。
社会人になってからも、仕事で交流させていただいたり、人脈ができてきたりする中で、慶應の良さを改めて体感することが多いですね。
なんとなくね、慶應の人かもなって、聞かなくても分かるんですよ。やたらスポーツ観戦が好きとか、やたらレジメンタルタイをしめているとか、同じバーにみんなで溜まりたがるとかね。
ビジネス面で具体的なディールがあるということはありませんが、あの人知っていますよ、同級生ですよ、なんていうことが色んな事を円滑にしますよね。

Q.4 長い慶應生活を経て、福澤諭吉先生の理念をどう感じていらっしゃいますか。

現代のセンスというものを百何十年も前からお持ちだったことに驚愕します。


幼き日の思い出として、2月の福澤先生のご命日は、担任の先生の引率で元麻布の善福寺へ行ったことを未だに覚えています。

福澤先生がしたことを今の時代に照らし合わせると「今風」だったと言えると思います。外国の文化を日本に輸入してくることに対して、ものすごく熱心な方だった。グローバリズムをどう日本にフィットさせるか。……こういう真面目なこともちゃんと言っておきたいので言いますけど。西欧の列強から日本をどう守るか、といったことにもすごく腐心された。
フェミニズムと言ったら変かもしれませんが、男女の格差みたいなものにも、早い時期に着目して、今では当たり前の一夫一婦制を当時から仰っていた。現代のセンスを百何十年も前に持たれていたことに驚愕します。時代が新しくなればなるほど、福澤先生の感覚というのは色褪せずにより輝く感じがしますよね。

時代の転換点に生きているが故に、波をかぶることも多かったと思うし、儒教的なものに対する反駁も、当時はとても勇気が必要だったと思うんですよ。官学だったんですから。
意志の強さをお持ちだったと思うし、自分もこの歳になって自分の人生と重ね合わせて見ると、改めて福澤諭吉先生の偉大さを感じますね。

Q.5 普通部の生徒に「目路(めじ)はるか教室」を実施されたご感想を聞かせてください。

ピュアでグラデーションのある反応が面白かったです。


普通部の在校生に卒業生が、自分の仕事について講演をして、所属する職場の見学もしてもらうというのが「目路はるか教室」です。私の時は中学1年生が対象でした。テレビ局に来た生徒たちは喜んでいましたね。
その後生徒たちが書いた感想を文集として発行するんですが、内容は基本的にピュアで面白いながら実に幅広かったです。
ものすごく大人っぽいことを書いてくる子もいます。「時代の境目に置かれたテレビの現状がよくわかりました」みたいな。と思えば、別の子は「大好きなアイドルグループの話が聞けてウルッときました」とか。
大学でも寄附講座を行ったことがあります。その時も同じようにレポートが学生から提出されたのですが、受けた印象は普通部生徒のそれと同じでした。丸文字で「有名俳優の話が聞けて良かったです」という人もいるし……随分内容にグラデーションがあるんだな、と思いましたね。

Q.6 テレビ局で働こうと思われた理由を教えてください。

映像の世界に興味がありましたが、映画会社は採用がなかった。フジテレビでは突然の嵐が吹いていて、楽しかったですね。


映像、特に映画の世界に行きたいと思って、大学時代に松竹でアルバイトをしていました。「男はつらいよ」の制作現場で、助監督の一番下みたいなことをやらせてもらいました。いい体験でしたね。映像業界に対する自分の憧れというものが具体的になったと思います。
しかし当時、映画会社では採用がなかったんです。制作部門だけでなく、映画会社全般で採用がありませんでした。それでテレビ会社を受けました。

フジテレビで一番長く勤めたのは編成という部署です。様々な番組の企画を取捨選択してテレビの時間割にあたる番組表を決めます。フジテレビは当時から柔軟に若手に権限委譲をしていましたので、20代30代の人間がテレビの放送スケジュールを自分たちで決められる環境でした。若手ながらチャンスを与えてもらって楽しかったですね。
入社した1981年は視聴率があまり良くなかったんですが、その次の年から一気に良くなったんですよ。私が入社した時のフジテレビのキャッチコピーは「母と子のフジテレビ」という非常にオーソドックスなものでした。それが入社して半年ぐらい経ったら突然変わって「楽しくなければテレビじゃない」に。概念が根底から変わった感じがしましたね。プロダクションにいた方を全員社員として採用するなど組織体制上でもドラスティックなことをやり、こちらの面でも翌年ぐらいから効果が出てきました。
何も知らずに入ったら、突然嵐が吹きだした。すごい時に入ってきちゃったなと思いました。でも、楽しかったです。若者は変化しているところに入るのが楽しいものなんですよね。

Q.7 慶應義塾で学ばれたことは、ご活躍の助けになりましたか?

愛されるための技術。これは慶應義塾メソッドだと思います。


あるべきものの考え方とか、社会性とか、そういうことが身についていて、会社に入ってから慶應義塾に対してすごく感謝しました。
入社してまだひと月目ぐらいに電話番をやっていたんですよ。すると「○○だけど△△いるか」っていうなんとも乱暴な電話がかかってきました。それは当時の報道局長からの電話だったんですけど、私が「すみませんどちらの○○さんでしょうか」と聞いたら「(名前ぐらい)覚えとけ!!」と怒鳴られてしまいました。「俺は悪くないけど、謝りにいくべきだろうな」と思って、報道局長のところに行きました。「大変失礼いたしました。新入社員の遠藤と申します」って。その人にはその後ずっと可愛がってもらいました。これこそが慶應義塾メソッドだと思いますよ。そういうことがすごく役に立っている。

慶應義塾出身の人は社交性、社交スキルが高い人が多いですよね。70歳近くになった僕の先輩が、80歳ぐらいの先輩に「おじちゃま」とか言ったりしている。
社会脳の半分ぐらいを占めているのは愛されるための技術ですよね。そういうのが上手い人が多い気がします。

Q.8 放送業界を目指そうという塾生の皆さんに対してメッセージをお願いします。

放送業界はコンテンツ業界になります。好きなものだけでなく、裾野も見てみましょう。


放送業界は早晩コンテンツ業界になると思っています。
放送業界というのは、テレビ局やラジオ局といったフレームがあって、テレビやラジオを通じてエンターテインメントを届けると考えられていると思うのですが、近年は動画配信サービスやゲームなど、さまざまなコンテンツがあって、これらがせめぎ合っています。だからコンテンツの出し口は地上波のテレビだけではなく、多岐に渡ります。テレビ局と言っていますが、テレビだけをやっているわけではない、言うならばコンテンツ局だと思って欲しいのです。
「『作り手が自分の心に忠実なソフトを作り、それをお客様に提供して心を動かしていく』というビジネス。」そういう概念で見てほしいと思っています。

アマデウス・モーツァルトみたいな天才じゃない限り、多くの経験と豊富な知識がないとクリエイティブなものは生まれてこないと思うんですよ。経験と知識が触媒となって発想が生まれてくる気がします。老婆心ながら言うと、自分が好きな物を検索することは尊いんだけれども、それだけだと情報が単一的になります。ある程度裾野の方も見ないと、発想ってどこかで止まっちゃうんじゃないかなと。
検索するのもいいけど、新聞を見ると自分が関心のない情報も載っている。Amazonで買ってもいいけど、本屋さんに行くと「あ、こういう本もあるんだ」という発見がある。無駄かもしれないけど、そういう経験もやってもらいたいなと。今はSNSで会話ができるので、直接人と会う機会が少なくなっている人も多いと思います。でも、面倒くさいかもしれないけれども、会うことを大事にしてほしい。面倒くさい時間も決して無駄ではないですよということは言っておきたいですね。

Q.9 今後の慶應義塾に期待することを教えてください。

学生と企業の間の橋渡しを一緒にやっていきたい。


慶應義塾のスタイルというのは素晴らしいと思います。その上で敢えて言うなら、インターンシップとはまた違った、社会に出るための実験プログラムとかセミナーとか、そういうのをやってもらえたらありがたいという感じがしますね。インターンシップはその業界独自の知識と技術を身につける点では効果的ですが、それとはまた違うものも必要だと感じています。今の20代と40代50代の価値観には当然ギャップがあるので、その間を埋めていく作業というのかな。
例えば、私が今一番気になっているのは「大丈夫です」という言葉なんです。「飯食いに行こうよ」と若い方を誘ったら「大丈夫です」って言うんで、会社の出口で待っていたんですよ。来るのかと思っていたら、それは「誘ってくれなくても大丈夫です」という意味だったとかね。
働き方に対する概念も違うじゃないですか。ある程度、会社側も学生側も分かって就職した方が、お互いにとってハッピーな感じがしますよね。
企業の方も努力しないといけない。学生と企業の間に良い橋渡しができるように、一緒にやっていけたらいいと思っています。

※掲載内容は2020年2月19日現在のものです。

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