塾員バトン・インタビュー:小掛 義之 君/株式会社DEX 代表取締役社長

名場面は大観衆の前で起こる。
スポーツも、連合三田会も。
――株式会社DEX 代表取締役社長 小掛 義之 君

2021年10月17日(日)、史上初めてオンラインで開催される2021慶應連合三田会大会(http://www.2021.rengomitakai.jp/)は、コロナ禍というピンチを「地方や海外からも参加できるチャンス」と捉えた逆転の発想によるもの。新たな塾員同士の絆づくりに挑戦する実行委員の一人である小掛 義之君に、塾生時代や卒業後の印象深い出来事、現在取り組んでいることなどを聞きました。

Q. 塾生時代で印象に残る思い出は何ですか?

A. ラグビー部の夏合宿が終わったあと、仲間と食べたケーキの味。


幼稚舎から中学、高校、大学と一貫して慶應義塾で学びました。折々にいろいろな思い出はあるのですが、あらためて振り返ってみると常にスポーツのなかに身を置いてきたように思います。神宮球場での六大学野球の慶早戦や、秩父宮ラグビー場での大学ラグビーの慶早戦を観戦し、野球部のグレーのユニフォームとラグビー部のタイガージャージに強い憧れを抱きました。
幼稚舎ではラグビーを、中学では野球とラグビーをやり、高校では野球部に入って念願のグレーのユニフォームに袖を通すことができました。2年生の夏にメンバーに選ばれ、甲子園大会の神奈川県予選では4回戦まで進出しましたが、横浜高校に0対3で負けて敗退。翌年は3回戦敗退で、最後の夏が終わってしまいました。

野球部時代

野球は目一杯やりきった感があり、大学ではタイガージャージを着たい一心で体育会蹴球部(ラグビー部)に入部しました。ほとんどの大学ではエリートと呼ばれる選ばれた人しか第一線でスポーツをすることができませんが、慶應の体育会の良さは、「とにかくやりたい」という人は迎え入れる懐の深さがあるところです。しかし、さすがに大学ラグビーはレベルが違う。以前ドキュメンタリー番組で観た「地獄の夏合宿」の通り、夏休みに山中湖で行われる合宿では地獄のようなハードな練習が待っていました。山中湖といえば若い人たちが避暑に行くところですが、約2週間の合宿では外の世界と隔離されたように練習漬けになります。それだけに合宿メニューをやり遂げた時は、何物にも代えがたい達成感がありました。

ラグビー部時代の小掛君

合宿最終日の夜に、2時間の自由時間があったのですが、ラグビー部の仲間たちと行った喫茶店のアイスコーヒーとケーキの味は忘れることができません。ごく普通のケーキなのですが練習から解放された安堵感で、これまでで一番おいしく感じました。3年生の春に念願のタイガージャージを着られた事や、試合で勝った嬉しさ、負けた悔しさは数多くありますが、気持ちが満たされた点で言うなら、1年生の夏合宿のあとの自由時間に勝るものはありません。
今思えば、ラグビー部で合宿したり、遠征に行ったりして、このような幸福感を感じられたのもOBの方や小泉基金などを通じた義塾の支援のおかげでもあるのですね。塾生として恵まれていたことにあらためて感謝しています。

Q. 卒業後の進路について聞かせてください。

A. TBSに入社し、スポーツバラエティというジャンルを開拓。


ラグビー部の合宿所では、約50人が一緒に生活していました。練習が終わればウエイトトレーニングをする者、試合のビデオを見て研究する者、家庭教師のアルバイトに行く者など、みんな思い思いのことをやります。しかし、当時、合宿所から誰もいなくなったようになる時間帯がありました。あるドラマの放映時間になると全員が各自の部屋に戻り、テレビを見ていたのです。「想い出にかわるまで」というTBSのドラマでした。バラバラな50人を一斉に集める影響力の強さ、テレビってすごいなと思いました。テレビ局への入社を決意したのは、このことがきっかけです。大学卒業後はTBSに入社してスポーツ局に配属され、スポーツ中継やニュース番組に携わり、五輪もアトランタから4大会を現地で取材しました。

TBSではチーフディレクターとして「世界陸上」や「世界バレー」、「筋肉番付」「SASUKE」などの番組を立ち上げ、俳優の織田 裕二さんや他局出身の古舘 伊知郎さんらを起用して新しい切り口の番組づくりを進め、のちに「スポーツバラエティ」と呼ばれるジャンルを開拓していきました。
スポーツ中継やスポーツバラエティの難しいところは、撮り直しがきかないところです。ドラマのように「もう1テイク」というのができない。だからこそ、撮影現場には常に緊張感があります。一流のアスリートたちが収録のためにスタジオに来るのですが、スタッフ側の緊張感が伝わるようで「この緊迫した空気は」と驚いていました。筋肉番付に登場した跳び箱などは、小学校で誰もが触れたことのあるもの。それをエンターテインメントとして番組で取り上げることで、毎年20%を超える視聴率をあげました。番組づくりでいつも思っていることは、「これまで見ていない人たちに見てもらうにはどうするか」ということです。生活者、視聴者に興味を持ってもらうために、どのような伝え方をすればいいのか。そこは毎回、知恵を振り絞って考え抜いていますね。

Q. 東日本大震災のあとで独立したきっかけは何ですか?

A. 多くの人に夢を届けようという想いで映像制作会社を設立。

TBSに13年間勤めたあと先輩が立ち上げた会社を経由し、2011年に株式会社DEXという映像制作会社を設立しました。当時は東日本大震災の影響で日本中が打ちひしがれていた頃です。所属していた先輩の会社も業績が悪化し、倒産。社会からもテレビからも笑い声が消え、暗くきつい1年でした。当社のDEXという社名は、「DREAM EXPRESS」の略。世の中は厳しい状況だけど、エンターテインメントを作って人々に夢を届けようという想いを社名に込めました。
だからこそ「伝えたい」という想いは、TBS時代よりも今のほうがいっそう強くなっていますね。現在制作している味の素株式会社の提供による「アスリート・インフィニティ」という、もう5年以上続いている番組ですが、アスリートが未来世代のキッズに技術と食事のバトンをつなぐというコンセプトで、「いかに食事が体づくりのために大事か」を伝えています。私たちの子どもの頃は「水を飲むな」という根性論でスポーツをしていましたが、今の教え方はまったく逆。水は自由に飲んでいい、練習の合間にはおにぎりやサンドイッチなど補食をすることが大切だと、体づくりの観点からスポーツの指導をしているのです。これまでに250名以上のアスリートに出演していただき、メッセージを伝え続けてきました。東京五輪が終わったあとも引き続き映像で伝えていければと思っています。

Q. 卒業後の慶應義塾との関わりを聞かせてください。

A. ラグビー部OB、1991年三田会、そして連合三田会の活動。

出身のラグビー部の同窓会組織である黒黄会が法人化されました。今の大学スポーツは私たちの頃と違ってレベルが格段に上がっています。ラグビー日本代表の合宿に取材に行くと、ドローンを2台使って練習記録を撮影したり、選手の背中にGPSを付けて走行距離やタックルの回数などのデータを収集したり、練習一つとってもかなり科学的に行っているのです。大学ラグビーのレベルは上がり、練習も科学的になっていて、慶應ラグビー部の組織は選手が100人ほど、OBはじめ、サポートメンバーが50人ほどの大所帯。合宿や遠征などの活動費が毎年必要になってきますが、活動資金をどう集めるかはこれからますます重要になってくるのではないでしょうか。私もOBとして、トレーニング場建設や人工芝を張り替えるタイミングで支援してきました。活動資金の多くは体育会各部OBである塾員の寄付で成り立っているのが実情です。

1991年三田会の卒業25周年記念事業では記念映像を制作しました。私たちが大学に入学した年の、全国の大学入学者数は約46万人でした。そして慶應に入学した人が約5,900人。「私たち同級生が慶應で出会ったのは1.28%の奇跡なんだ」と呼びかけました。石川 忠雄塾長(当時)が卒業式で「諸君がこれから直面しようとする時代は、それほど容易な時代とは考えておりません」とおっしゃったんです。「その困難の前にたじろぐのではなく、気力を奮い起こして立ち向かってほしい」と。実際にその後の25年は、阪神淡路大震災をはじめ、地下鉄サリン事件、リーマンショック、東日本大震災など数々の試練に見舞われ、容易い時代ではありませんでした。「だから、これまでの25年を語ろう。そして、これからの25年を語ろう。さあ、みんなで集まろう」とVTRでメッセージを発信したところ、大会当日の出席者は2,000人を超え、大成功でした。
2011年の連合三田会大会でも、1991年三田会代表をしていた同級生の神戸 雄一郎君から「震災で弱っているみんなを元気づけたい」と頼まれて当日のイベントを企画しました。日吉記念館と陸上競技場で「マッスル・ミュージカル」と「SASUKE」のセットを組み、参加者に楽しんでもらいました。

Q. これからの慶應義塾に期待することは何ですか?

A. この秋、史上初のオンラインによる連合三田会で塾員がつながる。


今年の秋に予定している2021年慶應連合三田会大会も現在準備をしているところです。昨年の大会はコロナ禍にあって中止を余儀なくされました。いま(取材日:2021年5月19日)も、3度目の緊急事態宣言が発出され厳しい環境ですが、「なんとか開催したい」という想いのもと、今大会は10月17日(日)に史上初のオンライン大会(通称デジミタ大会)として開催します。
私はテレビ番組作りでも誰もやったことのないことをやるのが大好きなタイプです。今回も史上初のオンライン大会の映像を作ってほしいと言われ、「よし。じゃあ、これまでにないテレビ番組を作るつもりでやろう」と即断しました。まだ詳しい内容は話せないのですが、年度ごと、学部ごとのグループにオンラインで自由に出入りでき、多人数でも1対1でも語り合え、あたかも会場で立ち話をするように交流できるようになる予定です。1991年卒、2001年卒、2011年卒の実行委員のみなさんからアイデアがどんどん出てきて、これを形にするのが今から楽しみで仕方がありません。構成作家やディレクターをはじめ、さまざまなプロの協力者もオール慶應によるスタッフィングです。「塾員の、塾員による、塾員のための3時間生放送」として、これまでにないほど面白い番組に仕上げるのが私の仕事だと思っています。
普通に考えれば、コロナ禍の今は大ピンチです。しかし、この機会をチャンスと捉え、塾員がこれまで以上につながる大会にしたいと考えています。過去の日吉キャンパスでの開催では、参加者が2万人くらいだと聞いています。今回はオンラインでの開催なので人数制限はなく、遠くに住んでいても、海外にいても、どこからでも参加できます。初めて連合三田会を知った方が参加したいと思ったら、自宅にいながら参加できるのです。距離の壁を乗り越えて塾員がつながる画期的な大会になればいいなと思っています。

Q. 塾生、塾員のみなさんにメッセージを!

A. 慶應への感謝の気持ちでこれからも恩返しをしていく。


私は今、少年野球チームの監督をしています。最初は、息子がいたチームでもあるし、お世話になったチーム代表への恩返しの気持ちで引き受けました。しかし、今は子どもたちの成長を見る喜びを感じています。ふとした時の子どもの笑顔や、親御さんの嬉しそうな顔。これはもう自分のやってきたことへの恩返しではないかと思えてきたのです。

野球でもラグビーでも私より上手な人や素晴らしい指導者はたくさんいます。だけど、私が野球とラグビーの2つのスポーツを真剣にやってきた経験、TBSに入社して数々のスポーツの真剣勝負の場を取材してきた貴重な経験を子どもたちに伝えていきたいのです。「なぜ、今の自分があるのか」と問われれば、「慶應義塾で学んだからだ」と、この歳になって思います。慶應義塾への感謝の気持ちを込めて、これからの塾生たちにもどんどん恩返しをしていきたいと思っています。子どもたちに野球を教えることは未来への投資です。練習や試合を通して、子どもたちの名場面をつくりだしていきたい。そんな想いで未来に投資をしていきたいですね。
「名場面は大観衆の前で起こる」と、スポーツ中継では言われます。無観客ではなく、一人でも多くの観客の前でこそファインプレーが生まれるというものです。スポーツでも、連合三田会でも、大観衆の前で一人ひとりの印象に残る名場面が生まれてほしい。そう心から願っています。

※掲載内容は2021年8月12日現在のものです。

特集一覧に戻る