塾員バトン・インタビュー:宮部 一弘 君/日輸工業株式会社取締役社長

塾生ファーストの環境を整え、
福澤先生の思想をもっと広めてほしい。
――日輸工業株式会社 取締役社長 宮部 一弘 君

「学問のすゝめ」が座右の書という宮部 一弘 君。塾生が学びやすい環境を整え、福澤 諭吉先生の教えが行き渡るようになってほしいと力を込めておっしゃいます。慶應義塾での4年間が自身の人間形成のもとになっていると言う宮部君に、塾生時代の思い出や現在義塾とのつながりを感じるとき、そして塾生への期待を込めたメッセージを伺いました。


六義園のほど近く、宮部君が取締役社長を務める日輸工業株式会社にて取材させていただきました。

Q. どのような学生時代を過ごされましたか?

A. サークルやゼミ活動に没頭し、充実した4年間でした


私達は学費値上げ反対闘争の立看板の中で受験をし、米軍資金導入反対闘争の中で卒論を書き、卒業間際には東大安田講堂事件がありました。そんな時代にも拘わらず、慶應義塾ではいろいろなことをやりました。一番思い出深いのはバロニィというテニスサークルです。昭和41年卒業の6年生グループが創設したサークルですが、このままではこのサークルが無くなってしまうという危機感からでしょうか?昭和40年に慶應義塾大学に入学した私たち新入生に募集がかかりました。男女合わせて20名以上の同期生が入部し、サークルは一気に活性化しました。「塾員バトン」を受け継いだ武田 隆一君ともサークル仲間で、日吉キャンパスで一緒に新入部員の勧誘をやったものです。私たちの頃は家族的なこじんまりしたクラブでしたが、今では入部審査があるほど強豪クラブになったようですね。
学術研究団体に所属する経営経済学研究会(略称:経営研)というサークルにも所属していました。当時、林 周二 氏の「流通革命論」という本が一世を風靡した影響で商社の研究を行い、三田祭で発表したのは良い思い出です。今となっては勉強したことより、しょっちゅうコンパをやっていたことばかり記憶に残っていますが。

3、4年になると、そろそろ真剣に勉強しようと思い、2年生の秋に助教授から教授に就任された方々の講演が三田で開催され、日吉から聴講に行きました。加藤 寛先生の講演に感銘し、入ゼミ試験を受け、無事入ゼミを許されました。それまで大学生活を謳歌していた私には、ゼミでの経験はショックの連続でした。加藤先生は学者っぽいところがなく気さくな方なのですが、指導内容はもの凄く厳しいんです。図書館に通い詰めたり夜中の2時まで参考文献を読んだりしました。特に記憶に残っているのは、「ラグランジェ未定乗数法の証明」の宿題を名指しで指名されたことです。この時は早稲田大学理工学部に行った友人の助けを借りましたが。恩師と言える素晴らしい先生と優秀なゼミ生との出会いがやる気に拍車をかけ、ゼミ漬けになるほど徹底的に鍛えられました。これが後に銀行に就職してから、どれほど役立ったか分かりません。

Q. 卒業後も慶應義塾とのつながりを感じますか?

A. 4つのコミュニティのつながりは現在も続いています


十数年前にバロニィ・テニスサークルが創部40周年を迎えたのを機にパーティーに呼ばれ、以後5年ごとに同期や後輩たちと顔を合わせて交流が続いています。経営研や加藤ゼミの仲間とも定期的に集まる機会があり、最近ではオンライン飲み会を開催することも。
昭和44年卒業の同期とは卒業25年、50年と記念事業行事を行い、その間にもクラス会をやってきました。クラスの仲間とは在塾時代には神宮球場へ慶早戦を一緒に観戦しに行ったものです。春、秋8回の大会で3年の春には慶應義塾大学が優勝して、クラスのみんなで喜び合いました。
こうしてみると、大学の4年間に所属した4つのコミュニティのつながりは、卒業後51年を経た現在も健在です。どのコミュニティの仲間ともお互いの立場に関係なく冗談を言い合える、気心の知れた間柄です。慶應義塾ではかけがえのない永遠の友を得たと思っています。

Q. 卒業後の進路について聞かせてください

A. 銀行で経験を積み、物流機器の会社の社長に就任しました


経済学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に就職し、当時新しくできた東京の巣鴨支店に配属されます。社会人のスタートは誰でも印象深いと思いますが、新設店ということもあり、こじんまりしていて支店業務の全てを数字も含めて学ぶことが出来ました。2年3か月後には極めて忙しいと評判の大阪の梅田支店に転勤し、誠に商売に厳しい大阪商人のお客様に鍛えられました。6年3か月後、昇格して神戸支店に異動した際には、ここでは管理職の端くれの勉強をさせていただきました。その後さらに東京の青山支店に転勤になりましたが、父が入院したのをきっかけに、父が経営していた日輸工業株式会社の経営を引き継ぐことになりました。銀行での仕事にやりがいを感じており、慰留もされましたが、運命を感じ物流機器業界へと身を投じたのです。
昨年会社は創立65周年を迎えました。銀行でさまざまな経験を積んではいましたが、会社経営をするのは初めての経験。オーナーとして業界団体の会合に出たり、社内外の人たちと業界を活性化するために知恵を出し合ったりしてきました。今回、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて全国では多くの企業が休業・廃業を余儀なくされています。ありがたいことに当社はこうして引き続き仕事ができている。本当に恵まれていると実感しています。
このような事態になっても、フォークリフトなどの産業機械の検査を滞らせては物流が成り立ちません。当社がきっちりと検査を遂行することで産業や社会に貢献できることは喜ばしいこと。社員一同、しっかりと働くことで社会に恩返ししたいです。

Q. これからの慶應義塾に求めることは何ですか?

A. 塾生ファーストの環境づくりに力を注いでほしいです


やはり、塾生ファーストですね。これからの未来を担っていく若人を育ててほしい。そのために塾生が思う存分勉学に励みやすい雰囲気づくりと、その環境を整えることが慶應義塾の責務ではないでしょうか。
福澤 諭吉先生が建学した当時から、常に正しいこと、新しいことを発信してきたのが慶應義塾。「学問のすゝめ」は私の座右の書です。そこに記されたひと言ひと言に教訓が込められており、胸に染み入ります。人間形成のもとになっている福澤先生の思想を、もっと多くの人に広めていってほしいです。福澤先生の思想は一見矛盾している様に見えますが、その漸進主義というか、プラグマティックな考え方は常に社会がより良く発展することを願っているからです。そしてその強い信念は、「『独立した心』を持たなければ発露できないのだ」と繰り返し述べています。そして加藤先生も「理性無き感情は盲目である。感情無き理性は空虚である。」と口癖の様に仰っていました。二人の師の、人間に対する楽観的な信頼と人に勇気を与える言葉は今も私の指針です。
だからこそ慶應義塾は後れを取ってはいけない。常に発信する側にいる必要がある。そのような思いを込めて今回、福澤基金に寄付をさせていただきました。自分で考える心、それを塾生のみなさんに育んでほしいと願っています。

Q. 塾生のみなさんにメッセージをお願いします。

A. 興味のあることを、ひたすら勉強してください


せっかく慶應義塾に入学したのだから、よく勉強してほしい。例えば、慶應義塾には学生生活の充実化を目的としたさまざまな奨学金が用意されていますが、それを生かすも殺すも本人次第。塾生一人ひとりが基金からなる奨学金をしっかりと生かしてほしいと思います。
何でもいいから、興味のあることをひたすら勉強してみることです。その「ひたすら」やるということが大切。4年間はあっという間に過ぎます。しかし、ひたすら学んだ4年間が卒業後50年以上も自分の力になってくれるのです。
私も偉そうなことを言える立場ではありません。この言葉は遠く50年以上も前に慶應義塾に在籍した私自身に宛てたメッセージだと思ってください。これからの世界を背負って立つ塾生のみなさんに期待しています。

※掲載内容は2020年8月11日現在のものです。

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