塾員バトン・インタビュー:神戸 雄一郎 君/かんべ土地建物株式会社 代表取締役社長/1991年三田会代表

人と人のつきあいに終わりはない
みんなでみらいへ
――かんべ土地建物株式会社 代表取締役社長/1991年三田会代表 
神戸 雄一郎 君

慶應義塾中等部に入学し高校、大学と慶應義塾で学び、卒業25年記念事業では1991年三田会の代表を務めた神戸雄一郎君。同事業では「みんなでみらいへ」というスローガンのもとに次世代のため奨学金の基金を設立するなど、人と人、人とまちをつなげていくことに邁進するその想いを語ってもらいました。

 

思いやりを学んだ中等部時代。

―― 中等部、高校時代に慶應義塾で学んだ思い出を教えてください。

父も慶應義塾大学の出身で應援指導部に所属していたため、小学生の頃から野球の慶早戦に連れて行ってもらっていました。その影響もあり、中学と高校では野球部で活動したことが印象に残っています。人生のいろいろなことは中等部の野球から学んだと言っても過言ではありません。中等部出身で大学生の奥野さんが監督で、毎日の練習がとにかくきつく、付いていくのが精一杯。あの練習があったからこそ仲間同士で励まし合ったり、協力したり、他者を思いやる気持ちが養われたと思っています。同級生が20人いたのですが、そのうち半分近くが大学では体育会のさまざまな部で主将や副主将等チームのリーダー的な存在になりました。慶應の教えの根底にある、リーダーの素養を中等部野球部で学んだのでしょうね。

―― 大学時代は野球ではなく、アメリカンフットボールをされたのですか?

中等部の時、クラスで隣の席の畑君に誘われて、彼のお兄さんがアメリカンフットボール部だったので慶應対マウイ高校試合を観に行って、面白いスポーツだなと思いずっと興味を持っていました。学生生活の最後で、これまでとは違うことにチャレンジしてみようと思ったのです。慶應義塾体育会アメリカンフットボール部は、ひとことで言うなら自分の考えを持った「大人の集団」という感じでした。中高野球部とは対照的に、大人の監督やコーチが指示することはまったくなく、普段の練習から試合の戦術まですべて学生が話し合って決めていました。かといって和気あいあいと馴れあうのではなく、学生同士で厳しく自律しながら自分たちで考え、行動する。組織の在り方が独立自尊の教えに通じるものがあったのです。

アメリカンフットボール部 2年次 関東一部リーグでブロック優勝

 
私が在籍していたときの目標は常に日本一。2年、3年、4年のとき、関東1部リーグでブロック優勝をしましたが、当時は日本大学が社会人チームを含めて最強を誇り、優勝決定戦では勝つことができませんでした。日大以外にはほとんど負けなかったのですが、最後の4年次のリーグ戦で立教大学に逆転負けを喫したのは忘れられません。「これは優勝できないかもしれない」と全員が心を一つにして、翌日の練習から集中してチームがまとまり、最終戦でブロック優勝を決めたときには感動しました。

 
アメリカンフットボール部 学生ディフェンスコーチと

―― スポーツを通して学んだことは何ですか?

「負けや失敗から何を学ぶか」が大切です。先のリーグ戦の負けから自分たちの慢心に気づき、チームがまとまり、優勝という目標を果たすことができました。負けたり失敗したりしても、それで終わりではなく、逆境から巻き返すことができます。私自身も、アメリカンフットボール部では2年生のときにマネージャーに転身しました。部には、プレイヤーとして活躍する人だけではなく、戦略を立てる人、そしてチームを下支えする人も必要なのです。4年生では主務となり、部員全員のことを公平に見て、思いやる気持ちでサポートしていました。中等部のときに学んだ「思いやりの心」が大学でも活きたのです。
主務を経験したことで、いろいろな形でOBの方にお世話になっていることや支援のありがたさを知りました。現在もスポーツをする学生を支援する小泉基金※などがありますが、塾員のみなさんの寄付やサポートがあればこそ、学生が思う存分スポーツ活動に打ち込めるのだと改めて思います。
※小泉信三記念慶應義塾学事振興基金(小泉基金)についての詳細はこちら:
https://kikin.keio.ac.jp/mokuteki/koizumi-shinkokikin/

 

―― 幼稚舎と初等部のフラッグフットボール※をサポートした経緯は?

実は私の娘が幼稚舎に通っていて、フラッグフットボールのチームに所属しているのです。幼稚舎の先生が部長、子供たちの親がコーチとしてサポートしています。大人が子供たちの手本となり、プレーの面でもマナーの面でもしっかりと教えるのは大切なことだと思います。これは余談ですが、昨年末にあった全日本ファイナルの大会で慶應チームが残り時間ゼロ秒で逆転して劇的な優勝を飾りました。コロナ禍という環境の中で奇跡的に大会が行われたこともそうですが、大会を運営してくれた方々や周りでサポートしてくれる人たちに感謝する心を持つ良い機会になったのではないでしょうか。子供たちが自分だけで練習や大会ができるのではなく、いろいろな方の力添えでスポーツを楽しめるのだと理解し、このような体験を通して感謝の気持ちと他者を思いやる心を養ってくれたら嬉しいですね。
慶應フラッグユニコーンズ2019 NFLフラッグフットボール日本選手権 小学生プライマリー日本一

※フラッグフットボールは、タックルを行わず、代わりに選手の両腰につけた旗を取るフットボールです。

 

震災直後の兵庫県へ赴任。

―― 慶應義塾を卒業後、どのようなキャリアを積みましたか?

卒業後は三井信託銀行(現三井住友信託銀行)に勤めました。在籍した10年ほどで三井信託銀行自身の合併や資金繰りも含め、幅広く、重要な仕事を数多く任せてもらえました。 所属は本店の営業部とディーリングセクションがもっぱらでしたが、阪神淡路大震災の半年後から2年間、兵庫県の支店で勤務したことがあります。
赴任した頃はまだ倒壊した家があるなど、街には震災の爪痕が色濃く残っていました。私が担当した仕事は家が倒壊してしまったため新たに家を建て替える人への住宅ローンや被災者ローンの窓口、アパート経営をしていた地主さんが新しい建物を建てる際に必要となる融資をする業務です。とにかく仕事の量が多くて大変でしたね。しかし、融資をすることで助かる人がいる、自分の仕事が被災者の方たちの生活に直結しているんだと必死だったことを覚えています。当時はやりがいというより、使命感で仕事をしていたというほうが合っているかもしれません。「まちを復興させるため真剣に取り組まなくては」と強い決意で臨みました。あの2年間はまちとともに、地元の方たちの生活とともにあった年月でした。

―― その後、かんべ土地建物株式会社に入社されたのですか?

10年ほど勤め、銀行の、合併に関するすべての業務をやり終えた頃、そろそろ家業に入るタイミングだと思い、かんべ土地建物株式会社に入社しました。1930年の創業ですから、現在90余年の歴史があります。当社は品川区大井町に本店、港区新橋に支店があり、地域に密着してお客様の困りごとを解決することを目指す総合不動産業です。現在では「まちづくり」の視点から自社で開発した不動産を運営し、人と人、人とまちをつなげていくために、まちに必要なものを創り、住んでいる人に喜んでもらえることをやりたいと社員一同が邁進しています。

 

人を育て、未来のまちをつくる。

―― 現在の慶應義塾とのかかわりを教えてください。

当社の本社がある大井町に慶應義塾大学SFC研究所「みらいのまちをつくる・ラボ」が設立されたのを機に、その活動をサポートしています。長年このまちと一緒に歩んできた当社と、まちの活性化を応援したいという思いが一致したことが大きいです。学生たちが10年後、20年後のまちづくりのアイデアを出しながら、コロナ禍以前には大井町でフィールドワークもやっていたと聞いています。エフエム品川という地元のラジオ局に番組を持ち、企画から演出までの運営をすべて学生の手でやっているのも面白い取り組みのひとつですね。

―― 義塾では、「慶應義塾教育充実資金」※という新たな取り組みのもと、ポストコロナを見据えた新たな 社会のリーダーとなる人材を育成する方針を打ち出しました。

伊藤公平塾長も「世界の舞台でリーダーシップをとれる人材を育成したい」とおっしゃっていて、私もそれに共感しています。そのために我々卒業生ができることを率先して行い、私たち自身が先導者として発信していくことが必要ではないでしょうか。学生に対するサポートといっても、いろいろな形があります。そのひとつとして、寄付などの資金による支援は非常に大事なことです。慶應義塾が目指していることを理解して、塾員みんなで協力していくことが大切であり、私もできることはやっていこうと思っています。まちづくりも人を育てることも同じだと思います。みんなで次なるフロンティアを目指したいですね。
※慶應義塾教育充実資金に関する詳細はこちら:
https://kikin.keio.ac.jp/mokuteki/jujitsushikin/

 

みんなでみらいへ

―― 1991年三田会の卒業25年記念事業では、どのような取り組みをしましたか?

慶応義塾の伝統行事として、卒業25年目の塾員が大学の卒業式に招待されます。 卒業式に出来るだけ多くの同期に参加してもらおうと、幹事が中心となって名簿作りを開始しました。25年も経てば、つきあいが途絶えている人もいます。人づてに連絡先を聞いて全員で協力して進め、大同窓会当日には2,000人以上の同級生が参加してくれました。歴代の大同窓会の中でも参加者が一番多かったと聞いています。
1991年 卒業式

そして、せっかく集まるのだから育ててくれた慶應義塾のために何か役に立てることをしようと考え、「みんなでみらいへ」というスローガンのもとで寄付金を集め、学生のための奨学金の基金を設立したのです。多額の寄付金が集まり、多くの学生のみなさんに奨学金を出すことができました。ただ私が言いたいのは、金額の多い少ないに関係なく、みんなで心を一つにして奨学生のために寄付をしてくれた同級生が大勢いたことの素晴らしさです。「何かをやってあげたい」という気持ちを多くの同級生が持ってくれたことが一番大切なことだと私は思っています。

―― その気持ちと奨学金を2016年の卒業式で届けたのですね。

1991年の卒業生である私たちの年代は、卒業25年となる2016年の卒業式に招待されました。その晴れの舞台に約600名の同期と一緒に立ち会い、みんなの気持ちである奨学金を届けたのです。
この卒業式は、私にとってとても感慨深い行事になりました。中等部のクラスメイトに内宮君という仲の良い友だちがいました。卒業25年記念事業の準備を始める頃に残念ながら彼は亡くなったのですが、私たちが招待された卒業式は、ちょうど彼の長男の学年が卒業する年の卒業式だったのです。具体的なスケジュールが決まってきたとき、出席する卒業式当日が内宮君の命日だと知りました。卒業式で私は挨拶をすることになっていたので少し早めに一人で電車に乗って日吉駅で降りました。そのとき最初に会ったのが内宮君の奥さまと長男です。そのまま一緒に並木道まで歩き、記念に写真を撮りました。きっと内宮君も一緒に卒業25年記念事業に参加してくれていたのだと思います。「人と人のつきあいに終わりはない。ともに手を携え、常に前進していきましょう」という卒業式での挨拶は、私の実感をそのまま反映したものとなりました。
2016年 卒業式
※挨拶全文を当記事の末尾に掲載しております。

 

今で終わりではなく、与える立場になる。

―― 神戸さんにとって慶應義塾とは何ですか?

やはり、感謝のひと言ですね。これほどまでにいろいろなことを学ばせてもらった慶應には、感謝しかありません。それは学生時代だけでなく、今でもそうです。娘のフラッグフットボールのチームをサポートしながら、今なお多くのことを学んでいます。 仲間となる友だちもたくさん作ってくれました。目標を持てる環境も 作ってくれました。スポーツでも勉学でも、その他のことでも。それを周りのいろいろな人が支えてくれ、ほんとうに感謝するばかりです。それを次世代の人たちにも経験してほしいと思います。今で終わりではなく、自分がやってもらったことを次の年代の人たちにもやってあげたい。これからは与える立場になっていきたいですね。慶應のいいところは、自分の子供のことだけでなく、みんなを応援しようとするところ。私より若い人でも社会で活躍している人がたくさんいます。そういう人たちからすごくいい刺激を受けています。若い人たちから刺激を受けて、自分もやってやろうとなることが多いです。慶應義塾を良くしたいという思いと、社業で良いまちをつくりたいという思いは、私にとっては同じこと。幅広く考えると、「自分が社会に対して何を貢献できるか」ということだと思っています。

―― 最後に、在学生にメッセージをお願いします。

何でもいいので一生懸命になれるものを作ってください。そのなかで友だちも たくさん作ってほしいですね。ひとつの目標に対して気持ちを一つにしてやれる友だちは、生涯にわたってつきあえる人です。そんな友だちは、お互いを助け合える仲間になります。人と人のつきあいに終わりはありません。そういう仲間を学生生活の中でたくさん作ってほしい。そして、もうひとつ。ロバート・フロストの「選ばれざる道」という詩があります。簡単に選べる道だけを選ぶのではなく、どんなに大変でも自分が正しいと思う道を選んで、まだ見ぬ未来へ向かっていってほしいと思います。どんな時代になっても慶應義塾で学んだことは社会で必ず活かされます。自分が歩んでいく道が輝かしい明日につながるのだと信じて進んでください。

 

2016年度 慶應義塾大学 学部卒業式 挨拶

 
みなさん
本日はご卒業並びに2016年三田会の結成おめでとうございます。
いまこの場に立たせていただきますと、自分達が卒業した25年前の高揚感が蘇ってまいります。本日は約600名の同期と一緒にこの晴れの舞台に立ち会う機会をいただきましたことを心より御礼申し上げます。

私たち1991年三田会はこの卒業式にお招きいただくことに合わせ、1年にわたり卒業25年記念事業を進めてまいりました。「みんなでみらいへ」という言葉をスローガンとし、自分達を育ててくれた慶應義塾に何か役に立てることをしようと考え、その一つとして奨学金の基金を設立し、本日この場に届けさせていただきました。この基金が未来のリーダー育成の為、少しでもお役に立てればと願っております。

さて、みなさんは今人生の新たなスタートラインに立ったわけですが、学生時代とは違い、これからは完全に自分の意志と責任で歩んでいくこととなります。

現在の社会情勢をみますと日本は比較的平和ですが世界に目を向ければ複数の地域で紛争が起きており、その影響もあり経済も方向感が見えない状況です。また一方で様々なテクノロジーの発展は目覚ましく、人工知能といったものと共存していく時代も現実となってきています。みなさんがこれから歩んでいく道は決して平坦なものではなくよりスピードと変化に富んだものになっていくことでしょう。

しかしどんな時代になろうと慶應義塾で学んだことは必ず活かされます。福澤先生は「一身独立して一国独立する」と言いましたが、世の中が多様になればなるほど先ずは自分自身が自立しそのうえで様々なかたちで連帯していくことが大切になるのではないでしょうか。みなさんも「独立自尊」の精神で新しい社会を切り開いていってください。

高村光太郎さんの詩の一節にありますように「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る。」という気持ちでみなさんの人生の新たなる一歩を踏み出してください。みなさんの歩んでいく道が輝かしいみらいをつくっていくことを祈念しております。

※掲載内容は2022年5月19日現在のものです。

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